謎解きクロス元年として

謎解きクロスのファンのみなさま、こんにちは。

新年は、物理的には、いつもの一日と変わりはないはずですが、心の在り方としては、やはり重いものがあります。何よりも、志を立て、目標を設定するのに、何かをスタートするのに、こんなにふさわしい時期はありません。ドストエフスキーは、何かを始めようと思うことができたら、すでに半分は終わっているというような名言を残しています(たぶん)。

今年、私の志は「謎解きクロスのブレイク」であり、具体的な展開としては、本サイトを、有効活用して、新しい市場を開拓していくことがあります。

というわけで、昨日に続いて、テキスト版の謎解きクロス5×5を提示しておきます。

◇1◇ かん□うち×あい□とば → □=

◇2◇ だい□かい×みな□まち → □=

◇3◇ いぶ□ぎん×もや□そば → □=

◇4◇ かね□うけ×ころ□がえ → □=

◇5◇ にち□うび×やお□ろず → □=

◇6◇ ここ□まち×えこ□じー → □=

◇7◇ かく□げい×かみ□ばい → □=

◇8◇ しめ□くり×よこ□へん → □=

◇9◇ かた□くぼ×いろ□とこ → □=

◇10◇ あさ□ぼう×なき□いり → □=

◇11◇ こい□たき×ばす□いど → □=

◇12◇ ぶた□うら×ほし□わび → □=

◇13◇ さが□もの×かく□げい → □=

◇14◇ すき□かぜ×ひざ□くら → □=

◇15◇ かた□かし×えき□とら → □=

※ちなみに、昨日の解答は「しんねん あけまして おめでとうございます」でした。

台場1丁目商店街は、謎解きでも元気でした!

謎解きクロスファンのみなさん、お元気ですか?

2017年11月3日、文化の日に、お台場のデックス東京ビーチにある「台場1丁目商店街」で「謎解きミステリーツアー」が行われました。

台場1丁目商店街は、私の見知っている地方都市の「にぎわい」ではなく、たとえば新宿歌舞伎町や渋谷センター街のような「にぎわい」をみせていました。

夕方の段階で、200名もの参加者。

何よりもうれしかったのが、家族連れでの参加です。もちろん、カップルも、数人の集団も、お一人さまの参加もうれしかったのですが、小さなおこさんのいる親子、ファミリーでの参加は、とっても、とってもうれしかったです。

謎解きクロスは、子どもから大人まで楽しめるツール。今回、びっくりしたことは、ふたつあります。台場一丁目商店街の奥深さ。全体的に若いカップルが多いのですが、ひょっとしたら3~4割が外国人。それも中国、台湾、韓国のみなさんが多かったこと。日本の昭和レトロな空間を楽しんでおられました。

これは、謎解きクロスの英語バージョンもできそうです。台場一丁目商店街のプロデューサーである久保さんに、お願いしておきました。

もう一つは、謎解きクロスのアレンジの仕方。こちらは、全体のディレクションをしてくれた小田急エージェンシーの皆さまのパワー。エレベーターホールという、人がたまっても大丈夫な場所をうまく活用し、そこに謎解きクロス5×5を3つ、配置してくれました。しかも筆記用具が、そこに置いてあるのです。

大きなポスター、統一的なパンフレット、そのデザイン。いずれも、秀逸で「さすが」というデザインです。メジャーになることは、こういうことなんだなぁと感じました。

10年前、伊豆下田でスタートしたミステリーツアーが、ようやくメジャーの入口にきたということです。みなさん、ありがとうございました。

 

信州うえだ謎解きさんぽ

謎解きファンねみなさま、こんにちは。

今、謎解きクロスを楽しむ紙の本の出版を、ビジネスパートナーに依頼しています。いずれ、形になることでしょう。

まず、謎解きクロス5×5を、脳トレ本にと考えました。それを進めるなかで、本格ミステリー小説の誕生ということで、謎解きクロス9×9の、そして誰も死ななかった、というミステリーの出版。最後が、謎解きクロス7×7の、ショートショート作品集かなぁと、漠然と考えていました。

ところが、ビジネスパートナーが注目したのは、謎解きクロス7×7のショートストーリーでした。謎解きクロスそのものの楽しさが、一番よくわかるから、という理由です。

いずれ、3パターンが統合された本も出ることになります。きっと、だから、どこから山登りを始めるかという問題になります。

私は、ビジネスパートナーに本のプロデュースを任せ、ひたすら、リアルなミステリーウォークと、誰に頼まれているわけでもないけれど、ひたすら、謎解きクロスを書き続けるわけです。

新しいパズルが認められ、普及することを信じて。なので、今しばらく、お待ちください。

 

パズルとミステリーの間にある革新

今、移動中です。
スマホで、移動中に、謎解きクロスについて考える。そのことができる人、今は、広い世界に、私一人しかいません。
それが、やがて数百万人が、クロスワードパズルとミステリー小説の隙間にある謎解きクロスを楽しみ、数十人が、どうやって作るかに思いをはせる。そんな時代がやってくるのです。
たとえば、ルービックキューブを開発した人、オセロゲームを開発した人。考えているときに、どんなドリームに酔っていたのでしょうか。
ジョンレノンは、イマジンで、みずからのドリームを語っています。私たちは、大人になっても、ゆめみています。
謎解きクロス、みんなが楽しんでくれるか。その答えのありかが、なんだかみつかる気がしてきました。うれしいなぁ。

台場一丁目商店街でも謎解きを!

謎解きファンのみなさん、おはようございます。

今年、謎解きは空前のブームとなっていますが、この秋、あの昭和レ富むで知られる「台場一丁目商店街」で、謎解きクロスによるミステリーウォークが開かれます。

台場一丁目商店街の町長(?)である久保浩さんには、近代中小企業の取材もお願いしたことのある、地域活性化では有名な、タレントのような人。3~4年前に、2度、プレゼンさせていただきました。

義理堅い人で、ずっと「謎解きをしたい」と思っていてくださり、オーナーさんへのプレゼンを、おりあるごとに、自ら進めてくれていたとのこと。そういえば、信州上田で、今年もミステリーウォークができるのも、商工会議所の唐澤さんや。現在は軽井沢駅長をされているMさんが、ずっとずっと、折あるごとに上層部に「ミステリーウォークしません?」と、規格検討に加えておいていただけたから。

私は、コンサルタントとして、いろいろな成功事例を勉強させてもらいましたが、このように、普及させたい本人だけではなく、周囲に「実現してみたい」とドリームを共有してくれる人が出現するプロジェクトは、だいたい、5年~10年でブレイクします。

そのとき、ブレイクのきっかけはマスコミになることが多いのですね。面白いと感じる記者がいて、新聞や雑誌に取り上げてくれて、それを読んだTV局のスタッフが番組で紹介してくれる。

そして、ここが重要なところですが、その番組を観た人が「ああ、あれなら10年前から大ファンだよ」と語ってくれるという世界が成立していることです。

先日、NHKで謎解きによる街おこしを紹介していましたが、あのようなことは、もう10年前から、しかももっともっと完成された形で、情熱をもって、たくさんの参加者に支えられて、やってきたわけです。

ところが、ディレクターが、ちゃんと調べてないのか、コネクションなのか、下北沢で、たまたまやっていた謎解きが「ブーム」として取り上げられていました。

民報のみなさーん。よろしくお願いします!

騎士団長殺しが止まらない

謎解きクロスは、静かに、広まりつつあります。

2017年4月1日、本サイトで、毎週1問、謎解きクロスの新作を発表していこうと思っていましたが、ずっと手を出さずにいて、うっかり読み始めてしまった村上春樹の「騎士団長殺し」が、止まりません。

しかも、一日、数ページしか進まないのです。謎が多すぎて。

というわけで、本当のエイプリールフールになってしまった毎週の新作発表。スタートは、しっかり準備して、たぶん夏休みあたりから。

ご期待ください。

始まりが始まった

2017年4月1日。

学生は新学期、社会人は新年度がスタートします。また今日は、あの有名なエイプリール・フール。ひとつくらい、夢のような話もしてみたくなります。

というわけで、この謎解きクロスのサイトでも、新しいコンテンツがスタートします。それは毎週1回、日曜日に、新しい「謎解きクロス」の問題を発表して、50週、続けるということの、スタートです。

このコンテンツでは「謎解きクロス7×7」のフレームを使います。ですから、文章だけを、提供することになります。そのとき、太字にすることで言葉の「欠片」であることを示します。

詳しくは、また次回に。

謎解きクロス開発物語<8>

謎解きクロスの原点をさかのぼれば、1982年、角川春樹氏が大藪春彦を担ぎ出して謎解きを仕掛けた「黄金を探せ!」にたどり着きます。

たぶん、秋。新500円銀貨が発行されるというタイミングでした。朝日新聞の全面を使って「黄金を探せ!」という告知がなされました。

そこには、暗号が出ています。記憶もうすれているので、ちょっと端折りますが、暗号を解くと「ベルタルべ」となります。このベルタルべは、シンブンシのような「回文」となっていました。

葉書に「ベルタルべ」と書いて角川書店の事務局に送ると、「黄金を探せ」というイベントへの招待状が来ました。ある日曜日、10時に山手線に乗りなさいという指示。

仲間を募って、探索の準備をして乗り込むと、ラジオの周波数が、中刷り広告に記してあります。それに合わせると、ラジオの広告。それをヒントにして、解答を「大井競馬場」と解いた私たち4人は、ちょうど目黒あたりにいたので、品川に出て、京浜東北で大井競馬場駅で降りました。

まだ、50人くらいしか集まっていませんでした。そこで問題を受け取り、都会の街を、地図を読み解き、暗号を読み解いて歩きます。

街歩きをしながら、ヒントポイントにたどり着き、そこでヒントをゲットして、謎解きをして、次に進む。そうです。謎解きクロスによるミステリーウォークと同じ仕掛けを、角川春樹氏のチームが、1982年に、すでに実現していたのです。

まず、大きな暗号文を解き、それから10カ所くらい歩いて、細かい暗号を解きます。すると、新宿にできたばかりのアルタ前に、15時に集まれという解答でした。あとでわかったのですが、大井町競馬場で問題を受け取った人が10万人。そのうち、謎解きをしてアルタ前に集まったのが3万人。もちろん、新宿は東口のみならず、西口も、黄金を求める豆探偵であふれていました。

嫌な予感がしました。たぶん、アルタ前は黒山の人だかり。ヒントは、大きなビジョンから出されるに決まっていますが、それを群衆の中で観ていては、次のリアクションがとれません。きっと。

そこで、ヤマを張りました。理由はわからないけれど、電車に乗ることになるから、なるべく改札口の近くにいたほうが有利です。アルタのビジョンが観られる位置に陣取り、双眼鏡をのぞきながら、15時を待ちました。

と、60秒くらいのCMが流れます。私が目視した内容を、仲間が必死に書き取ります。すぐに謎は解けません。しかし私は「小田急線だ」と気づき、仲間三人に声をかけました。「走るぞ。ついてきて!」

小田急線の急行に飛び乗り、社内で、アルタで提示された暗号を解きました。とある駅で降りると、バスが停まっていました。すでに1台めのバスは、出てしまったとの説明がありました。バスには、ぎゅうぎゅうにつまって、100人くらい乗れるようです。整理券を受け取って、バスに乗りました。たしか、120番くらいだったと思います。

このときも、嫌な予感がしました。私たちは、他の誰よりも早く、小田急線に乗り込んだはずです。しかも、急行でした。私たちよりも早く着く電車はありません。それなのに、すでに100人も、黄金を探せというイベント会場に向かっているというのです。

とっても嫌な予感がしました。

バスが、もう一台、やってきました。ということは、300人で、2000万円の黄金の争奪戦が始まるのです。

イベント会場に行くと、テレビで見知っている、あの角川春樹氏が、待っていました。そこで、報告を受けました。角川氏は、マイクを取って、こんなことを語りました。

「みなさん、おめでとう。今、みなさんがたどり着いた駅には、3万人の参加者が集まって、パニックになっています。彼らには、もう黄金を探す権利がありません。黄金は、100万円を20本用意して、あの竹藪の敷地にかくしてあります。これから、ここに集まってきた300人で、黄金の争奪戦を行ないます。そこで、お願いです。本来、あの竹藪には20本の金の延べ棒が埋まっていましたが、そのうち2本を、今、小田急線の駅に集まってパニックを起こしているみなさんへの、敗者復活戦の賞品として使わせてください。いいですね」

そうしないと、パニックが収まらないのでしょう。私たちは、これから始まる金の延べ棒の争奪戦のことでアタマがいっぱいで、誰も、文句をいうこともなく、次の指示を待ちました。

私の近くにいたグループは、金属探知機を持参していました。金の延べ棒を、その道具で発見しようというのです。角川氏は、こういいました。

「さて、ルールを説明しましょう。竹藪には、整理番号順に、入ってもらいます。すなわち、番号の早いほうが有利です。また、ここには300人が集まっていますが、100人ずつ、制限時間20分で、探してもらいます。それぞれの100人に対して、6本の金の延べ棒が割り振られます。6本、すべて発見されたら、その100人は終了となり、次の100人に、竹藪に入ってもらいます」

やっぱり。金属探知機をもってくるべきだったか、と考えていたときに、角川氏は、こういいました。

「ところで、100万円の金の延べ棒ですが、さすがに、本物を竹藪に隠すわけにはいきません。そこで、同じ大きさ、形の、木でできた棒切れを隠します。それを見つけてください。あとで、金の延べ棒と交換します」

そうです。金属探知機が使えなかったのです。あちこちで、落胆の声。でも、それは、竹藪の中に入っていく、最初の100人の怒号でかきけされました。なぜかしら、黄金を探しに竹藪に入った参加者たちは、「オー!」という叫び声をあげて走りまわっていたのです。

そこで、私が目撃したものは、本当に、驚くべきことでした。

それは、あまりにも凄い出来事だったことが理由かは定かではありませんが、今では、誰も伝承していません。ネットにも、何の痕跡も残っていないのです。

生き証人は、ここにいます。

次回、私が目撃したドラマについて、ご紹介しましょう。

 

 

 

 

ミステリーツアーの広域展開

謎解きクロスによるミステリーウォークは、鉄道を活用して、広域展開が可能です。それは、目黒区で展開してもらった、のんびりイベント散歩で実証しています。

のんびりイベント散歩では、同時期に、6地域でミステリーウォークを実施しました。各地域の商店街では、運営の問題がありますから、週末の1日しかミステリーウォークを実施できません。しかし、企画としては、例えば学芸大学駅を拠点として広域展開をしながら、2カ月間、ミステリーツアーを実施することもできます。

さらに、あちこちから、参加者を募集して、大掛かりなイベントにすることも可能です。たとえば、昔、角川春樹さんが企画したように。

それは、私のミステリーウォークの原点でもあります。

英語バージョンの開発

謎解きクロスの説明をして、一通り理解してもらうと、企画力のある方は、みなさん、英語バージョンは作れませんか?と、質問されます。

元々、クロスワードパズルは英語から始まったものですから、理論的には、英語バージョンは可能です。はい。

でも、英語が苦手な私にとって、まずは日本語。日本で100万人のファンができたら、英語バージョンを作ってみようという感覚でいました。

ところが、時代は急速に変化しています。日本においても、4000万人のインバウンド対応を模索するなかで、地域の街をあげて、おもてなしをする時代に、外国人が日本の商店街で、楽しく歩ける謎解きクロス、ミステリーウォークは、あったらいいな、という時代に近づいていました。