自分に責任を課す、成功の法則

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昨夜、永遠の若大将・加山雄三さんがNHK「Songs」に出演。幾多の「信じられない人生の岐路」を経て、81歳の今日も、明るく元気に歌をうたっている「理由」を「他人のせいにしないから」「どん底を何度も経験したけれど、いつも自分の責任だと思ってきたから」と語っていました。

謎解きクロスについて、私は、同じことを考えていました。

誰にも頼まれていないのに、すなわち「お金にならない」のに、役立つと信じて、謎解きクロスを極めてきました。もちろん、その間に仕事をしなければ家族を支えることができないので、仕事は人の倍くらい、してきたと思います。

そんななか、週末作家として企画書をつくり、いろいろな人に会いに行き、謎解きクロスによるミステリーウォークの実施をお願いしました。沖縄にも自費で行き、苫小牧には全国屋台村連絡協議会の中居会長から交通費を支援していただいて、かけつけて、屋台村での採用をお願いしました。

驚いたのが、結局、謎解きクロスの構造とミステリーウォークのミッションを伝えきれず、中居会長の八戸の屋台村以外、採用していただけなかったこと。2006年から関わってきた深谷市の「ふっかちゃん横丁」も、自費で週末り達人・小石雄一さんと飛んだ沖縄の「国際通り屋台村」でも、お金は全国屋台村協議会から補助金として出すことになっていたのに、何のリアクションもありませんでした。

大好きな台場一丁目商店街で、せっかく700人もの人が楽しんでくれたのに、1500人の予定だったために、打ち上げにも反省会にも声がかからなかったときも「何もないところに、700人も遊んでくれた」と考え、閉鎖型施設では、もっと運営が楽な仕組みがあるのでは? と、頼まれもしないのに、研究を続けてきました。

そのとき、私は自然体で、謎解きクロスを採用しなかったみなさんの「理解力と感性」の問題だ、などと思っていませんでした。これが10年前でしたら、そう思って切り捨てていたことでしょう。捨てることで、関わりを断ち切ることで、自分の不徳を押さえつけていたのです。

これは、謎解きクロスの仕掛けに、何か原因があるかもしれない。もっと進化する要素がみつかるかもしれない(実際、謎解きクロスのバリエーションは広がり続けています)。ミステリーウォークの運営の負荷が、二の足を踏む結果になっているのかもしれないと考え、考察を続けてきました。

そして、一昨日、その姿勢が功を奏し、決してあきらめない姿勢を貫けて、責任は自にあると、自身を叱咤激励し続けてきたおかげで、大きなプロジェクトに参画させていただくことができました。

まだ、何も始まっていませんが、私は、10年間、いつも自分責任論で謎解きクロスやミステリーウォークの完成を進めてきましたので、波のクリエイターではできないことも、たぶん、苦にならずに結果が出せると、自信がみなぎっています。

来週、ヒアリング。

再来週、原稿作成とチェック。

そして、9月10日には、あらゆる仕掛けがスタートし、印刷所は回転し始めています。パンフだけで、5万部から10万部を配布しますしミステリー小冊子も5000部から10000部、配布します。

印刷も運営も、すべて、私の責任で進めるプロジェクト。自分で自分を褒めたいところは、通常なら3ヶ月、どんなに早いプロダクションでも6週間はかかるイベント準備を、クリエイティブから印刷まで含めて、たった3週間で実現してしまうことでしょう。

私は、いつも他人のせいにしてこなかったので、どんな事態が発生しても、責任の取り方がわかっています。失敗は、たくさん重ねて、そのたびに対応策を練り、実行してきましたから、何も、怖いものはありません。

本ブログで、このプロジェクトをご報告できる日が、やっと来た事。本当に、支えてくださったみなさまとともに、喜びたいと思います。

みなさん、ありがとうございました。