成功につながるときは、心が期待でふくらんでいく。すると、それまでの苦労が報われて、人生のステージが、少しあがった気がする。それで「あ、くるのかもしれない」と期待するので、やってきたときには、もう準備が終わっている。
いきなり、成功するのではなく、それまで10年、20年と、こつこつと積み上げてきた結果が、誰かの目に留まり、まるで幸運が舞い込んできたかのように、回り始める。
でも、私は、回り始めることを知っている。だから、人知れず、時がきたときに逃さないように、準備しておくのである。その準備する場面を見て、多くの人は「徒労」とみるだろう。
たとえば、私が大吉くじを10000部制作したのも、妄想に基づく徒労。
ジグレー作品のベースとなる「太海」の絵を100点描き、ジグレー作品を1000点用意したのも、「徒労」にみえるに違いない。
あるいは、パズル小説をChatGPTとともに50作品制作し、印刷までしたのも「市場があるかないかわからない」のに進めた暴挙でもあり、やっぱり徒労に終わるとみるだろう。
私の人生は、思えば「徒労」の連続。
それでも、実は、いくつか小さな成功は、積んできている。大きな成功が一つもないけれども、私の成功は、小学二年生の「ラッパ」という詩が全国紙に紹介されたときから始まっている。
実は、その「成功」も、他人の知らないところで必死に努力した結果だということは、私以外、誰も知らない。
そう考えると、人のみてないところで努力している私は、いつか、成功がやってくるはず。それが、もう少し、というところまできている。
これも、妄想なのだろうか。
