謎解きクロス開発物語<8>

謎解きクロスの原点をさかのぼれば、1982年、角川春樹氏が大藪春彦を担ぎ出して謎解きを仕掛けた「黄金を探せ!」にたどり着きます。

たぶん、秋。新500円銀貨が発行されるというタイミングでした。朝日新聞の全面を使って「黄金を探せ!」という告知がなされました。

そこには、暗号が出ています。記憶もうすれているので、ちょっと端折りますが、暗号を解くと「ベルタルべ」となります。このベルタルべは、シンブンシのような「回文」となっていました。

葉書に「ベルタルべ」と書いて角川書店の事務局に送ると、「黄金を探せ」というイベントへの招待状が来ました。ある日曜日、10時に山手線に乗りなさいという指示。

仲間を募って、探索の準備をして乗り込むと、ラジオの周波数が、中刷り広告に記してあります。それに合わせると、ラジオの広告。それをヒントにして、解答を「大井競馬場」と解いた私たち4人は、ちょうど目黒あたりにいたので、品川に出て、京浜東北で大井競馬場駅で降りました。

まだ、50人くらいしか集まっていませんでした。そこで問題を受け取り、都会の街を、地図を読み解き、暗号を読み解いて歩きます。

街歩きをしながら、ヒントポイントにたどり着き、そこでヒントをゲットして、謎解きをして、次に進む。そうです。謎解きクロスによるミステリーウォークと同じ仕掛けを、角川春樹氏のチームが、1982年に、すでに実現していたのです。

まず、大きな暗号文を解き、それから10カ所くらい歩いて、細かい暗号を解きます。すると、新宿にできたばかりのアルタ前に、15時に集まれという解答でした。あとでわかったのですが、大井町競馬場で問題を受け取った人が10万人。そのうち、謎解きをしてアルタ前に集まったのが3万人。もちろん、新宿は東口のみならず、西口も、黄金を求める豆探偵であふれていました。

嫌な予感がしました。たぶん、アルタ前は黒山の人だかり。ヒントは、大きなビジョンから出されるに決まっていますが、それを群衆の中で観ていては、次のリアクションがとれません。きっと。

そこで、ヤマを張りました。理由はわからないけれど、電車に乗ることになるから、なるべく改札口の近くにいたほうが有利です。アルタのビジョンが観られる位置に陣取り、双眼鏡をのぞきながら、15時を待ちました。

と、60秒くらいのCMが流れます。私が目視した内容を、仲間が必死に書き取ります。すぐに謎は解けません。しかし私は「小田急線だ」と気づき、仲間三人に声をかけました。「走るぞ。ついてきて!」

小田急線の急行に飛び乗り、社内で、アルタで提示された暗号を解きました。とある駅で降りると、バスが停まっていました。すでに1台めのバスは、出てしまったとの説明がありました。バスには、ぎゅうぎゅうにつまって、100人くらい乗れるようです。整理券を受け取って、バスに乗りました。たしか、120番くらいだったと思います。

このときも、嫌な予感がしました。私たちは、他の誰よりも早く、小田急線に乗り込んだはずです。しかも、急行でした。私たちよりも早く着く電車はありません。それなのに、すでに100人も、黄金を探せというイベント会場に向かっているというのです。

とっても嫌な予感がしました。

バスが、もう一台、やってきました。ということは、300人で、2000万円の黄金の争奪戦が始まるのです。

イベント会場に行くと、テレビで見知っている、あの角川春樹氏が、待っていました。そこで、報告を受けました。角川氏は、マイクを取って、こんなことを語りました。

「みなさん、おめでとう。今、みなさんがたどり着いた駅には、3万人の参加者が集まって、パニックになっています。彼らには、もう黄金を探す権利がありません。黄金は、100万円を20本用意して、あの竹藪の敷地にかくしてあります。これから、ここに集まってきた300人で、黄金の争奪戦を行ないます。そこで、お願いです。本来、あの竹藪には20本の金の延べ棒が埋まっていましたが、そのうち2本を、今、小田急線の駅に集まってパニックを起こしているみなさんへの、敗者復活戦の賞品として使わせてください。いいですね」

そうしないと、パニックが収まらないのでしょう。私たちは、これから始まる金の延べ棒の争奪戦のことでアタマがいっぱいで、誰も、文句をいうこともなく、次の指示を待ちました。

私の近くにいたグループは、金属探知機を持参していました。金の延べ棒を、その道具で発見しようというのです。角川氏は、こういいました。

「さて、ルールを説明しましょう。竹藪には、整理番号順に、入ってもらいます。すなわち、番号の早いほうが有利です。また、ここには300人が集まっていますが、100人ずつ、制限時間20分で、探してもらいます。それぞれの100人に対して、6本の金の延べ棒が割り振られます。6本、すべて発見されたら、その100人は終了となり、次の100人に、竹藪に入ってもらいます」

やっぱり。金属探知機をもってくるべきだったか、と考えていたときに、角川氏は、こういいました。

「ところで、100万円の金の延べ棒ですが、さすがに、本物を竹藪に隠すわけにはいきません。そこで、同じ大きさ、形の、木でできた棒切れを隠します。それを見つけてください。あとで、金の延べ棒と交換します」

そうです。金属探知機が使えなかったのです。あちこちで、落胆の声。でも、それは、竹藪の中に入っていく、最初の100人の怒号でかきけされました。なぜかしら、黄金を探しに竹藪に入った参加者たちは、「オー!」という叫び声をあげて走りまわっていたのです。

そこで、私が目撃したものは、本当に、驚くべきことでした。

それは、あまりにも凄い出来事だったことが理由かは定かではありませんが、今では、誰も伝承していません。ネットにも、何の痕跡も残っていないのです。

生き証人は、ここにいます。

次回、私が目撃したドラマについて、ご紹介しましょう。

 

 

 

 

歴史が動きます

謎解きクロスは、本日から、新しいフェーズに入りました。

ひな祭りの日は、謎解きクロスの記念日です。

詳しくは、明日、またアップします。

具体的に、一つ。謎解きクロスは、いよいよ、英語バージョンの開発に入ったのです。

お楽しみに!

謎解きクロス開発物語<7>

謎解きクロスは、ミステリーウォークの問題を作成するときに、「誰も死なない」ことによる興味関心の欠如を補い、本格推理小説のように「謎解きの楽しさ」を際立たせることを目的として、生まれました。

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2008年の秋に、赤坂サカスで行われたミステリーウォークの実証実験では、赤坂という文字をローマ字にしたときにAKASAKAと、たまたまローマ字の回文となっていたことから、謎解きのベースを作りました。

これは、これなりに評価は高く、ローマ字の回文だったとわかったときには「凄い!」という絶賛の声も多々、いただきました。それで、ローマ字の回文になる言葉の「辞書」をつくり、これでミステリーウォークの小冊子をシリーズ化できると、大いに期待したのです。

シリーズ化に際しては、一つ、工夫をしました。

実は、ミステリーの小冊子の原稿は、最初は放送作家の源高志さんに書いてもらっていました。伊豆下田では、小冊子までいかなかったので、私が書いたのですが、翌年に実施した西小山ミステリーツアー(当初はツアーと呼んでいました)では、源さんと二人で西小山を取材し(すなわち昼間から飲み歩き)原稿を委託していたのです。

しかし、よくよく考えると、AKASAKAなどのローマ字回文を使った謎解きと、ミステリー小冊子がリンクしていません。ミステリーも、ローマ字回文で進められたほうが、楽しいはず。

そう考えて、2010年からは、ローマ字回文を使った謎解きのミステリーウォークがスタートしたのです。それが、前にふれましたが、かつうらビッグひな祭りでの「クロスワードパズルを使った謎解き」につながるのです。

そして、私がミステリーの原稿を書くときに、いくつか、決めたことがあります。私は、ビジネス書は30冊ほど書かせていただきましたが、小説では「いつも予選落ち」という、さみしい人生をへてきた人間。たぶん20回くらい応募して、一次予選通過が数回あるくらいで、結果がついてこなかった。ジャンルは純文学からエンターテインメントまで。

もっとも、たとえばキャッチコピーとか、兵庫とか、アイデアとか、ショートショートのようなものは、逆に常連といえるくらい、絶賛されていたりもしました。ただ、小説の壁が高く、厚く、いつも門前払い。

でも、ミステリーについては、何となく「書ける」という自信がありました。というのもトリックや謎解きについては、アイデアが無尽蔵にわいてくるからです。ほとんどが、すでに世に出ているものを、自分の脳だけで作り出したケースなんですが、1000に3つくらい、オリジナルのアイデアもありました。実用新案登録をしたことも、二十歳のころですが、ありました。若気の至りでもあったのですが。

ちょっと脱線しました。

私が「誰も死なないミステリー」を書くとしたら、こうしようという決め事がありました。

①舞台は、日本橋の雑居ビルにある「探偵@ホームズ事務所」です。

②いつも、スタートは「大変だ~」から始まり、仮眠をとっていた池野所長を、助手が揺り起こすところから始まります。

③謎解きのパターンは、いつも一緒。最初は「ローマ字の回文」でしたが、「クロスワードを解く」という謎解きになり、これからつくるミステリーはすべて「謎解きクロス」のパターンとなります。

そうです。私はミステリー作家ではありません。そういう人間が、小説を書くのですから、これまで発表されてきた、どんなミステリーとも被らない、オリジナリティが必要となります。

今、日本に推理作家は約500人。そのうち、小説を発表することで食べていける推理作家は1割の50人といわれています。そのみなさんの経済基盤をゆるがすのは、本意ではありません。そのみなさんにも、大いに活躍してほしい。ただ、小説という世界、業界は、明らかに、血で血を洗うレッドオーシャン。

私は、本業はコンセプトデザインの制作。すなわち新規事業開発専門のコンサルタントをしているのですが、新規の場合は、レッドオーシャンは勧めません。まだ、だれも踏み込んだことのない、ブルーオーシャンに漕ぎ出していくことを勧めるのです。そのときに、コンセプトデザインが重要になります。

謎解きクロスは、ブルーオーシャンに進む、コンセプトデザインなのです。

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私の書くミステリーは、今までの推理作家さんが書かなかった、地域に根差した物語です。だから、地域活性化に役立つのです。

その特長は、さらに加えれば、こうなります。

④実在する地域と、そこで生きるリアルな商店街などがモチーフとなります。容疑者も実在すれば、真犯人も実在します。ただ、誰も死なないミステリーなので、容疑者は地域活性化を推進する人ですし、真犯人は、とってもいい人になっています。

⑤謎解きの解答は、地域のみなさんが決めることができます。謎解きクロスは、当然ながら「解答」から問題を作成するわけですが、その「解答」を、地域のみなさんが決められるという仕掛けが、当然ながら、このモデルの最高の利点なのです。

ということで、謎解きクロスによるミステリーウォークでは、出だしはいつも、こんな感じで進みます。

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ある晴れた日の昼下がり。

「大変だ! 池野所長、これを見てください!」

という叫び声が上がった。

そこは東京の日本橋にある雑居ビルの一室。玄関には『探偵@ホームズ』という看板がかかっている。

もっとも探偵といっても、その事務所では殺人などの凶悪事件や、夫婦ゲンカなどのややこしい出来事を調べることはしない。彼らの専門は文化や歴史、自然、人間の魅力が失われたという難事件を解決することだ。

「また、解答@ルパンから挑戦状がきています!」

アルバイトの伊藤君は、所長に封書を見せた。

「これは、確かに解答@ルパンのメッセージだ」

便箋には胡蝶【蘭(らん)】(縦3)のマークが押されていた。それは解答@ルパンのメッセージが本物であることを証明している。二人は、無二の親友なのである。

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登場人物には、途中から「解答@ルパン」も入ってきました。これは、やはり謎解きを楽しくするための仕掛けです。

さて、ここまで書いてきたことが、謎解きクロスによる「ミステリーウォーク」の、おおまかな歴史と、その考え方となります。

ところが、この謎解きクロスの開発物語は、ここで終わりません。なぜなら、ミステリーウォークを出自としている謎解きクロスなんですが、これまで誰もアプローチしてこなかったブルーオーシャンの世界ゆえに、ミステリーウォークを離れて、謎解きクロスそのものが、一人立ちできる可能性に気付いたからです。

その物語は、2年前の冬、高円寺で福田さんに会ったことから始まります。そう、この謎解きクロスのサイトを作成してくれている、ふくちゃんです。

つづきは、また次回に。

謎解きクロス開発物語<6>

謎解きクロスは、ミステリーウォークを支えるミステリーの「謎解き」部分を担っています。そもそもの出自が、ミステリーウォークであり、何かオリジナリティのある謎解きを創造したい、という思いが原点にあります。

というのも、私が勧めているミステリーウォークでは、ミステリーなのに「誰も死なない」のですから。誰も死なないにもかかわらず、本格ミステリーの醍醐味を味わっていただきたい。そういう「シバリ」のなかから生まれたパズルが、謎解きクロスなのですね。

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ちなみに、ミステリーなのに何故、誰もしなないのか。それは、地域活性化を目的に企画展開するのが、ミステリーウォークだからです。

私がミステリーウォークをスタートさせたのは、2008年の秋。赤坂サカスで、まず、試験的にやってみました。それが好評だったことと、移住交流推進機構の補助金事業に選んでいただいたこともあり、第1回ミステリーへウォークは「伊豆下田」で始まりました。このときの「謎」は、アルファベットの謎解きでした。

たまたま、赤坂サカスで、謎解きをしたわけですが、その解答を「AKASAKA」にしようと思いついたのです。

AKASAKAは、ローマ字の「回文」になっています。

この「ローマ字の回文」を使った謎解きによるミステリーウォークは、2008年から2013年まで続きました。そして、謎解きクロスが誕生すると、実際に解いている参加者のみなさんから「面白い!」という励ましの言葉を、ローマ字回文の10倍くらいいただけるようになり、「イケル」と判断したのです。

でも、ローマ字回文も、捨てたわけではないのです。その証拠に、2016年の目黒区でのミステリーウォークの小冊子の問題で、下記のように復活しています。

※以下、お楽しみください。

 

学芸大学にある目黒商店街連合会の事務所では、スマにゃんが見守るなか、「のんびりイベント散歩」で配布されたミステリー小冊子の正解者から賞品を授与するための抽選会が開かれていた。

机の上には、解答@ルパンから送られてきた「最後のヒント」が載せられている。

◆解答@ルパンからきた問題文

晩秋の『朝』のこと。目黒川のほとりで誰かが『アハハ』と笑った。窓から外を見たボクは『息』を飲んだ。彼女は『伊豆路』の恋という映画に出ていた女優。ここで店を開いて何かを『売る』らしい。

『あ』思い出した。彼女の名前は『あやや』だ。レポーターから質問されるたびに『アラ』と小首を傾げる。海辺ロケをして海に入り『行こう、沖』と誘うひと。

出したDVDを確実に『売り切る』人気は変わらない。趣味を聞かれ『なぜ掛け算』と答えてしまったか。生まれが『赤坂』であることと関係しているかもしれない。

探偵@ホームズの池野所長は、伊藤君が容易してくれたパネルを見せて、謎解きをする。

◇晩秋の『ASA』のこと

◇目黒川のほとりで誰かが『AHAHA』と笑った

◇窓から外を覗いたボクは『IKI』を飲んだ

◇たしか『IZUZI』の恋とかいう映画に出ていた

◇彼女のDVDを『URU』らしい

◇考えているうち……『A』思い出した

◇彼女の名前は『AYAYA』だった

◇質問されるたびに『ARA』と小首を傾げる

◇海に入って『IKOUOKI』と誘うひと

◇DVDを確実に『URIKIRU』人気は変わらない

◇趣味を聞かれ『NAZEKAKEZAN』

◇生まれが『AKASAKA』と関係している

池野所長は、目黒六人衆に語りかけた。

「みなさんが語られた言葉を、ただ集めるだけでは謎は解けません。この解答@ルパンの謎が解けなければ、真犯人までたどり着くことは難しい。そこで私がこの場で解きましたから、参考にしてください」

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と、こんな感じです。

さて、ここに至って「池野所長」が登場しました。誰もしなないミステリーウォークでは、冒頭で、池野所長が、必ず登場します。

そう、出だしは、いつもきまっているのです。

これについては、次回に謎解きをしていきます。

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こちらの女性は姉妹。謎解きクロスの大ファンで、のんびりイベント散歩をチェックしている私をみつけて「ひょっとして、作者の方では?」と声をかけていただきました。とてもうれしかったです。

謎解きクロス開発物語<2>

謎解きクロスのアイデアは、JTBの大谷さんの言葉にさかのぼります。

2009年の秋も深まったころ。私と大谷さんは、いすみ市に打ち合わせにいく車中。外房線内で、大谷さんから

「ぼくはクロスワードパズルが大好きなんですが、ミステリーウォークのヒントに、クロスワードパズルを使えませんか?」

と提案をいただきました。そして「かつうらビッグひな祭り」で、暗号としてクロスワードを使い、若いみなさんから「面白い!」という声をたくさんいただきました。それで私は、調子に乗ったのです。

その数日後、京都に講演が入っていて、大きな書店(旭屋か丸善)で、クロスワードパズルの作り方という、分厚い本を買いました。海外の著書を、日本語のクロスワードパズルの本に変換した、画期的な、分厚い、たしか4000円くらいした本です。

そこで得たヒントをもとに、試行錯誤を続けているうちに、謎解きクロスのアイデアが浮かびました。7×7の原型ができるまで、半年ほどかかりました。

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その間、2011年6月に、二コリさんの「クロスワード辞典」という名著を16000円で購入しています。もちろん中古ですが「ほぼ新品」の状態でした。

そして、研究が始まります。その成果を、最初にミステリーウォークに応用したのは、2012年3月に行われた「伊豆下田ミステリーウォーク」(当時はまだウォークではなくツアーと呼んでいましたが)です。

※謎解きクロス「マルタの謎」編です。

その後、2013年から「西小山ミステリーウォーク」(やはりツアーの名称でしたが)の小冊子に「謎解きクロス」が登場します。

それが、2014年の商標登録につながります。

ここでラッキーだったことは、謎解きクロスをオープンにしていなかったことです。ブログなどで公開していると、特許庁のネット検索で「すでに広まっている」とされてしまい、商標の登録ができません。

かつて、「ビジネス作家」で商標登録の出願をしたことがあり、そのとき拒絶理由として「ビジネス作家」という言葉が、ここに使われているという資料が提示されました。そのいずれも、廣川州伸が書いたサイトの文章です。

自分でネットで公表しているので、自分で保護したいという主張をしましたが、詳細に調べていくと、ビジネス作家という言葉は、私の友人である週末の達人・小石雄一さんの造語だとわかります。というわけで、断念しました。

一方、これは蛇足ですが、コンセプトデザイン研究所は、他社から商標登録の申請がなされて、私がコンセプトデザイン研究所で書籍を何冊か出しているにもかかわらず、登録されてしまいました。

もう、使ません。

ただ、特許庁と法務省に問い合わせて

「合資会社コンセプトデザイン研究所」なら大丈夫なので、これから、その名称で法人活動をしましょう、と指導をいただいてます。

コンセプトデザインのドメインを保有している私なんですが、コンセプトデザイン研究所の名前を使うと、訴えられてしまうのです。

1990年から使っているコンセプトデザイン研究所。それを6年ほど前に商標登録されてしまったわけですが、特許庁スタッフさんの話では「すでに許可されてしまったので仕方ありませんが、本来、通してはいけない商標でした。そこで最近、誰かがインターネットで公表している商標については、登録できないようにしています。今日の基準では、コンセプトデザイン研究所は通りません」とのこと。

脇道にそれましたが、ネットに出すということは、すでに「公知」されているとみなされます。「謎解きカフェ」はNGで「謎解きクロス」が通ったのは、謎解きクロスが、印刷物、しかもコピーして配布した問題として使われていたからです。

また、西小山ミステリーウォーク2013の小冊子で搭乗した謎解きクロスですが、こちれも印刷物なので、特許庁が苦手なジャンル。いちいち、すべての印刷物を調べるなんてできませんから、

インターネット検索で、引っかからなければ、大丈夫なんです。

もっとも誰かが西小山ミステリーウォークについてネットで書いて、そこで何度も「謎解きクロス」が面白いとほめていたら、まずかったかもしれません。

こうして、2013年3月、謎解きクロスは誕生しました。

今回は、ここまでにしておきます。謎解きクロスは今、完成形となっています。そこにいくまでには、もう少し、試行錯誤が続きました。

ミステリーウォークの聖地

謎解きクロスファンのみなさん、お元気ですか?

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1月は、週末にかけて信州松本・東北石巻・信州上田・伊豆下田と、謎解きクロスによるミステリーウォーク実現の打ち合わせに行ってきました。

新幹線や特急のなかで、じっくり考えました。

2008年10月、赤坂サカスで行われてJOIN(移住交流推進機構)フェスタで、ミステリーウォークのプレイベントを行い、その勢いをもって、11月に伊豆下田で、2日間のミステリーウォークを実施しました。それが、廣川州伸が企画プロデュースするミステリーウォークの、祈念すべき第一回。

そこで、こんなことを考えました。伊豆下田を、謎解きクロスによるミステリーウォークが行われる「聖地」にしよう、と。

聖地というと、膨大な予算をかけて、全国から来ていただく仕掛けを進めるように聞こえますが、それでは伊豆下田にとって荷が重い。観光客を迎える下地ができあがっているステキな街、伊豆下田。もっともっと、いろいろな人が、来て、楽しんでほしい、ということが狙いですから、「聖地」は、シンボルでいいんです。

どういうことかといいますと、伊豆下田を、これから全国で進める謎解きクロスによるミステリーウォークの「ミステリー小冊子」を解いて正解した人のなかから、抽選で1組、2名さまを、伊豆下田1泊2日の旅にご招待。その賞品を、いつも、伊豆下田と決めればいいと気づいたんです。

私の謎解きクロスによる小冊子は、冒頭、いつも同じセリフでスタートします。これは「決め事」なんです。同じように、私の原稿料のなかから、感謝の意味も含めて、いつも二人分の「伊豆下田宿泊券」をプレゼントする。そのときに、もちろん「伊東駅」から伊豆急下田駅」までの運賃は、セットになっています。

廣川氏 (5) 下田市長&廣川氏

そう、この賞品がセットになっている、ところが、謎解きクロスによるミステリーウォークの、他のイベントにはない特徴となっていくのです。

その理由は、伊豆下田が、地域活性化を進めるミステリーウォークの第一回が行われた場所だからです。

この仕掛けには、もちろん下田商工会議所、伊豆急行、下田観光協会のみなさんが関わってくれます。

実は、2008年に第一回ミステリーウォークを実施してから、2017年で、何と第10回となるのです。そこで、これから私は、原稿料から、たぶん3万円を投じて(本来、これでは宿泊費だけなんですが、そこは何とかしてもらい、伊豆急行さんの伊東から下田の往復切符も入れて、3万円でまとめてもらえないかと考えています)

たとえば、目黒区で謎解きクロスによるミステリーウォークをする場合も、特別賞として「ミステリーウォークの聖地・伊豆下田の1泊2日の宿泊券(伊東・伊豆急下田往復特急券付)を2名様分」を、謎解きクロスのミステリー小冊子の「特別賞・賞品」とします。

これ、私が3万円を支払うので、主催する目黒区商連さんの腹(サイフ)は痛みません。同じように、深谷宿ミステリーツアーでも、謎解きクロスによるミステリー小冊子には特別賞がつきます。主催される深谷商工会議所さんの腹(サイフ)も痛みません。

信州上田ミステリーウォークでも、同じことです。では、誰の腹が痛むのでしょうか。もちろん、賞品のお金を出すのは私ですから、私の腹(サイフ)は痛みます。3万円あったら、私自身が、温泉旅行したい?

でも、これは感謝の気持ちなのです。謎解きクロスによるミステリーウォークを楽しんでもらえるミステリーファン、謎解きクロスのファンのみなさんへの、感謝の気持ちを形にしたものです。

で、いつものご質問。作者は、一体、どこで儲けるのか?

もちろん、謎解きクロスの本を書いて、それをベストセラーにして儲けます。これは、私が、2006年に推理作家・故・伊井圭さんにコミットしたことでもあります。

「謎解きクロス入門」がベストセラーになり、全国で100万人が楽しむパズルが誕生したら、それを原資に、地域プロデューサーを組織化して、たとえば東急電鉄さんの路線を全部使って、謎解きクロスによるミステリーウォークを展開します。

それが、2008年に、私たちがみていた「ドリーム」になります。

楽しみです。

西小山2012Tシャツと探偵衣装

 

 

 

 

 

今年も信州でミステリーウォークを進めます!

謎解きクロスファンのみなさん、お元気ですか?

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信州では、これまで「浅間温泉」「美ヶ原温泉」「なわて通り・四柱神社」「しなの鉄道・上田駅」「上田市街」「須坂市」と、謎解きクロスを交えたミステリーウォークを実施していただきました。

ミステリーウォークは、地域のなかに、運営してくださる地域プロデューサーの方がおられなければ、一歩も進みません。その点でも、本当に、自分は幸運だったと、それぞれのミステリーウォークを楽しく想い出しています。

今年も、謎解きクロスによるミステリーウォークが行われます。

場所は、別にミステリーではなく「信州上田」です。そして、いつかまた、松本でも運営していただき、信州全体で、たとえば夏季に、一カ月くらい、あちこちで謎解きが点かいされる、そんな日を夢見ています。

ですから、これは長野県温泉協会さんに、地域プロデューサーになっていただけないかと、虫のいいことを考えています。

でも、私の場合、こうして思いついたことは、たいてい実現しています。なぜ、長野県の温泉協会なのか。だって、信州には、ステキな温泉がたくさんあるからです。

その企画をねることもあり、これから、信州上田だけではなく、信州全体にも、とくに温泉を求めて、ロケハンしておきたいと思っています。

ほんと、信州には、歴史・文化・グルメ・温泉、そして勤勉な人々と、ミステリーにかかわるネタが、たぶん全国一、豊富にあると思っています。

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信州松本ミステリーウォーク

謎解きクロスのファンのみなさん、お元気ですか?

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信州松本でも、ミステリーウォークを三回、実施させていただきました。懐かしい、松本城。公園で、信州新蕎麦祭りがあり、そこで、浅間温泉ミステリーウォークのチラシを配布。

おかげで、盛況でした!

ありがとうの気持ちを込めて。そして、また、信州松本でミステリーウォークができるように、松本に来ています。

 

明日、きっと空の向こうで

謎解きクロスファンのみなさん、こんばんは。

おかげさまで、謎解きクロスの未来が、見えてきました。これまで、組み立ててきたことが、一気に開花することになりそうです。

私たちクリエイターは、明日、成功する日がくることを信じて、日々、作り続けるしか、できることはありません。その姿を見て、支援する人がでてくる、作品を見て、ファンが増えていくことで、その未来が、確実なものとして生まれてくるのです。

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明日、新たな展開を迎える謎解きクロスを、引き続き、よろしくお願いします。

5000万人の1パーセント

nazo_logo2謎解きクロス ファンのみなさん、お元気ですか?

昨夜、NHKで、ウォーキング人口が5000万人時代を迎えたというテーマで特集を組んで放送していました。日本では、毎年、4300ものウォーキングの大会が開催されるそうです。

謎解きクロスによるミステリーウォークは、たぶん、ウォーキングのジャンルには入らない、運動を目的としたイベントではないのですが、それでも、この5000万人という数字には、勇気づけられました。

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謎解きクロスによるミステリーウォークは、地域の商店街にある、このようなヒントを探して歩き、地域の魅力を自ら発見していきます。歩くことが目的ではなく、謎解きをする手段として、のんびりと散策していきます。

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ミステリーウォークは、地域の魅力を自ら発見することが目的ですから、発見される商店街のお店が、参加してくれる探偵たちを、おもてなしすることになります。

あ、写真を紹介する方法がわかったかもしれません。

2017年は、リアルな写真で、謎解きクロスによるミステリーウォークをリポートします!