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体調と大腸との相関(2)
昨日、時間切れで途中にしたコンテンツのつづきです。
2023年11月に、私は急性大動脈解離の再発を防止するため、時限爆弾とみられていた直径35ミリの大動脈瘤を無力化するための手術を受けました。最初はカテーテルを使って、大動脈にプラチナの人口動脈を入れる予定でしたが、その方法では「10年後に、再手術が必要になる」とのこと。
それで、血管の調査をしたり、身体の体質を調べたりと、いろいろな1ヶ月くらい、ときに1週間「検査入院」して、心臓のウォッチもした結果、開腹手術でいけめ、と、カミの手を持つ若手の医師が判断してくれたのです。心臓の近くの血管は「あれ? すごくきれい。50代の血管だね」と言われました。
大動脈解離も「自力で血管を再生する」しか治療法はなかったのですが、開腹手術のあとも、事故の再生能力に期待するしか、手はなかったのです。
で、手術の前には「腸内にあるもの」をすべて洗い流し、細菌も殺して、一度、まっさらの状態にして執刀してもらったのですが、問題は、手術後。1日ICUで絶対安静にしたあと、「自力で一般病棟(個室)に戻ってください」と言われてびっくり。40日間安静にしていたので筋肉がなく、とても歩ける状況ではなかったからです。いたずらに、体重だけが減っていました。
でも、優しい看護師さんが「無理ですよね。車いすを用意します」と助けてくれて、ベッドに戻ったのですが、それから4日間、ガスがでませんでした。大腸が、熟睡していたのです。最期はガスがでて、食事もおかゆからふつうの減塩食になり、東京一美味しいといわれる病院食がたべられるようになりました。
そこで、私は「エノキのチカラ」を知ることになります。びろうな話題なので、ここまでにしますが、その体験から、退院しても、私は「キノコのチカラ」にすがる食生活を送ることになりました。
理屈は、わかりませんでした。ただ、キノコを大量に食べていると、「ちゃくと大腸が働く」のです。これは、経験則です。キノコが少ないと、なぜか、大腸の調子がくずれます。もちろん根菜、キャベツなどは必須ですが、キノコを食べなければ、どうも、相乗効果が気体できなかったのです。
実は、私は40代は太田胃散、50代・60代は、ほぼ毎日、食前にキャベジンを飲んでいました。そうしなければ、遺産が増えて、胃潰瘍を誘発するからです。たぶん、ピロリ菌も、胃の中には安住していたと思います。それが、手術によって、一度。リセットされました。
実は、2023年4月あたりから、私は「フコイダン」を摂取していました。だいたい沖縄もずくのときが多く、胃が痛いときには、1回に3パックを、朝昼晩と食べていました。実は、その塩分は、それだけで1日の摂取量を超えていたのですが、ピロリ菌は、だいぶ減った気がしていました。
府会談は「胃」に効果的ですが、いくら摂っても、大腸までは届きません。経験則として、大腸に効くのはキノコ、とりわけエノキは優れている。そういうことに気付いて、半年以上、リハビリしながら、もずく&キノコの摂取を続けてきました。その理由が、NHKの特集で、解明されたのです。
そろそろ、仕事に戻らないと。今日は週末なので、作家活動に専念します。下仁田町の大吉くじPJの企画書が、本日の楽しい仕事になっています。
つづきがあれば、「3」として書きます。

体調と大腸の相関(1)
いつもサポート、ありがとうございます。
ときどき、NHKから新しい知識を仕入れるのですが、腸内環境を整えるときのポイントは「食物繊維」であり、しかも、同じものを大量に摂るよりも、いろいろな食品から別々の食物繊維を摂るのがいいらしい。
その理由としては、数千もある腸内善玉細菌の生育には、それぞれの細菌に、それぞれ栄養となる食物繊維に「違い」があるとのこと。それゆえ、一つの種類の食物繊維ではなく、なるべく多くの食品を、少しずつ接種するといいことになります。
実は、2023年8月24日、急性大動脈解離で緊急入院してから、2週間の絶対安静と断食、4週間の絶対安静と体力回復、1週間の体質検査、2週間の大動脈瘤の外科手術などを通して、私の身体は、リセットされたようです。
それまで「不健康」「メタボ」「毎日飲酒」の私が、どうしたら再び大動脈解離にならないようにするか、模索するなかで「大腸環境がポイント」だと、理解しました。というのも、もう一度「強い腹圧」をかけたら、次は「暗黒の死」となるからです。
そして、リセットした私が大腸のために経験則として実行したのが「エノキ」の定期的な摂取となります。食物繊維のなかでも、エノキが一番、私にとっては効果的でした。8ヶ月間、エノキをとることで、大腸の環境を整えてきたのです。
あ、そろそろ仕事。続きは、次回にいたします。

晴れて職人になります
みなさん、お元気ですか?
おかげさまで、私の身体は健康に向かい、講演会の仕事もできるようになりました。(命と引き換えにびっくりするほどの丘ねを使いましたが、生きててよかった)働けることに感謝しています。
問題は、また無理をしてしまうのか、どうか。たまに、7回もワクチンを打っていますから、「もうアウト」「いやセーフ」「あれは誤診だった」などというご指摘もいただく昨今ですが、自分の感覚では、とっても体調がよく、いい感じなんです。
なので、いよいよ「なりたかった自分」を目指そうと思っています。それは「職人」です。職人芸を磨き、世界に一つしかない「逸品」を生み出す職人になろうと思っています。
そのため、どんな分野で職人になろうかと考えた末にでてきたのが「文人画」の世界です。絵だけでは、うまい人がごまんとおられますし、文章だけでも、うまい人が五万とおられます。
でも、それを融合させた世界に、ICTをからめていくと、新たなジャンルができてきます。NFTを政策し、自室に飾る芸術作品を政策する仕事を進めていくのです。
そして、その販促つーめとして活躍するのが「大吉くじ」となるわけです。おかしいでしょうか。
でも、天から与えられた命なら、やはり社会貢献しか頭に浮かびません。大吉くじは、間違いなく、悩める現代人の心をほぐします。それだけではなく、実は、私の政策する「ハガキ絵」も、同じように、心を元気にする効果があると感じています。
ただ私の絵を「お金を払ってでも買って、部屋に飾りたい」と思ってくれる人は、たぶん数%しかいない。でも、その数%のみなさんが、一日、ちょっとでも元気になっていただけたら、自信をもっていただけたら、生き残った価値があったと思うでしょうから。
芸術は、自己満足の世界です。でも、一人の人間が自分を満足させるために制作した作品に、共感してくれる人が、どこかにいるはずです。
今、ネットがありますので、NFT化した作品を無償で配布し、現物のリアルな作品を購入したいという人も、どこかにいるはずです。そこにかけてみようと思っているのです。
というわけで、誰もみたことがなかった職人として、生きていけるように、トライアルをスタートさせます。
製造元として、GSIコードを申請しました。いよいよ、秋のAmazonでの販売が、動き始めています。

カウントダウンが始まった
いつもサポート、感謝いたします。
日々、8月24日が近づいてきます。私にとっては自分の生命について感謝するとともに、支えてくださった、すべてのみなさまが幸せな時間を過ごされることを願う時間となっています。
昨年、2023年8月24日午前10時、自宅事務所で仕事をしていた私は、クライアントに「今から出ます」と、打ち合わせの確認をしていました。すると、いきなり下腹部に激痛があり、それはググぐと、胸の中心を上がっていき、息継ぎができなくなりました。
あわてて「すみません。ちょっと体調がよくないので、打ち合わせはリスケしてください」とメールを入れ、激痛をこらえてトイレに行きました。すでに書いたように、前夜の光物、サバ・アジ・イワシにアニサキスがいたのでは、と思っていたのです。能天気でした。
そして、2時間後、緊急搬送していただき、運よく受け入れ先もみつかり、そのままICUに入って、寝返り禁止の絶対安静、家族も含めての面会謝絶で、一週間。九死に一生を得たあとも、1ヶ月間、絶対安静は続きました。
おかげで30キロの減量に成功したものの、筋肉量がゼロに知和樹、歩けない自分がいました。ただ、それでも病室の窓から眺める都会の景色には感動がありました。世界は、とてつもなく美しかったのです。
そんなこともあって、その後、大動脈溜の主日をし、2024年元旦からリハビリ生活に入り、2024年4月から、クライアントのご厚意で仕事に復帰させていただいてます。それまでと異なるのは、クライアントのために「命がけ」で考えられるようになっていたことでしょうか。
そして、クライアントも、自分の生命力と相談して、ほんの数社に選択させていただきました。これまで、お声かけいただいた仕事は断ったことのなかった私ですが、傲慢にも、お断わりしている自分がいました。
お金どころではありません。文字通り、無一文の私ですが、生きていれば、きっといいことがあると、東京商工会議所に借金して、大吉くじプロジェクトの素材を100万円分、仕入れました。もちろん、それで儲けようなんて気持ちはまったくありません。
せっかく授かった命なのですから、できることは何でもしようと、リハビリの意味もこめて、悩める現代人の自己肯定感を高められる大吉くじに、かけていたのです。元講談社名編集長のIさんからは「無謀な」と驚かれましたが、九死に一生を得た者としては、しごく当然のことだったのです。
そして、いつ消えてもおかしくない命を内在しながら、今、1周年を迎えようとしています。このブログを読んでくれている人は、実は、このSNSブームの社会にあって、本当に親しい方しかいないのですが、私は、それでいいと思っています。
いつか、とくに若い人が、私との接点がまったくなかった若い人が、このブログに刺激されて、自ら週末作家になり、二足の草鞋をはき、創作活動を始めることを、なぜか、革新しています。その根拠⑨は、たった一つ。
自分が、そうだったからです。天才数学者エヴァリスト・ガロアの手記に刺激されて数学者を目指し、自らの枯渇した才能に幻滅しながらも、ドストェフスキーの「死の家の記録」を愛読書として、作家になることで心を守ってきた自分が、若者たちの心に響くことを、知っているからです。
私の場合、たぶん、10人に1人しか、ファンは生まれません。いや、5%かもしれません。でも、若者が1000万人いたら、5%なら50万人の人に、届く可能性があるわけです。私の人生は、それでも十分すぎると思います。
今、Campfireのcommunicationは、現在、7名のサポーターのみなさんに支えていただいています。10万人を目標にしていても、始まりは7人なんです。私は、その7名のみなさんを第一に考えて、創作活動を進めていきます。
そして、その7名のサポーターの向こうには、20名もの「いつも応援しているよ」と言っていただけるみなさんがいて、そらに向こうには、「必ず、何かを成し遂げると期待しているみなさん」が100名くらいおられます。
こんな幸せな状態でありながら、SNSで、あるいはユーチューブで、もっと多くのみなさんに自分の世界を「押し売り」する行為には、なかなか、向かうことができません。
というわけで、私はもう若くはないので、お友だちを拡大することなく、生きていくことになります。
静かに、見守ってください(実は、データだけみると、Communityの大吉WAKA集2024の1歌は、毎日100名前後の人に、コンスタントに観られているようです。驚きのことですが、こういう時代なんですね。
ありがたいなぁ、と、感謝しています。

坂本龍一が観たものは何か
2024年4月7日、NHKスペシャル【Last days 坂本龍一 最期の日々】が放映されました。私も、さりげなく観て、ラスト50分15秒あたりのシーンにくぎ付けとなり、臨死体験を思い出しました。
その映像は、坂本さんが亡くなる2日前、2023年3月26日、SNSでは天才・坂本龍一の暴力の被害者だったとされる次男が撮影したものでした。
ベッドで酸素マスクをした坂本さんは、彼が育てた東北ユースオーケストラのコンサート映像を、スマホで受信し、観ていました。楽しそうでした。最期の2日前なので、モルヒネが打たれていたはずです。
そのコンサートは、おそらく生配信されていて、吉永小百合さんが「うちわは、風を送ってくれて、ありがとう」など、さまざまなものに感謝する詩を朗読していました。
うつらうつら、楽しそうに指で旋律をたどっていた坂本さんは、突然目を見開き、次男のビデオ(たぶんスマホ)を確認します。そして、ベッドの上で首をイヤイヤするように降り「俺はヤダ」という言葉を絞り出します。
その言葉は、NHKスペシャルの映像では「判別不明」として字幕にされていませんでしたが、私には、はっきり「俺はヤダ」と聞こえました。だって、2023年8月24日に緊急入院した私の言葉と同じだったからです。
坂本さんの次男による映像は、続きます。(元気で勇気のある方は、ぜひ、ご自分で確認してください)
そして、イヤイヤの素振りから、ちょっと落ち着いた様子の坂本さんは「これはヤバイ」とつぶやきました。この言葉は、明瞭に発音されていて、聞き取れます。その二日後、意識が戻らないまま、坂本さんは逝かれました。
最期に、彼は何を観たのでしょうか。
百人いたら、百通りの解釈がある最期に観る世界。以下は、私にとっての想像にすぎません。みなさんには、みなさんの坂本龍一がいて、価値観があり、力士があり、世界観、宗教観、人生観があり、それぞれ異なっています。
ですから、私は、私のことを語るしかないわけですが、彼は「ブラックホール」を観と私は知っています。私が、ICUで寝返りすらできない絶対安静、家族でも会えない面会謝絶の状況で、死地をさまよっていた時に観た、穴。
無念だったと思います。死ぬことが、怖くなくなったと語っていた坂本さんでさえ、ブラックホールを観たら(光すら出てこられないから、正確には観ていないのですが)生命の中心が震えます。
安易に、そこに近づいてもいいと思っていた自分が、根本的に間違っていたこと。本当に、吸い込まれて「無」になるまでは、生命のあることを歓び、感謝し、楽しまなければいけないことを、身をもって知ったのですが。
私の場合は、たまたま九死に一生を得て、医師・看護師さんの必死の看病で、助けていただいた。坂本さんは、ずいぶん延命はされたけれども、とうとう、ブラックボックスに吸い込まれていった。
その違いは何なのか、ということは誰にもわからないけれども、生きている限り、生きている自分を活かす道を模索し、この世界が美しいことを、一人でも多くの「出逢い」のあったみなさまに遺していくことが求められています。
明日は、終戦記念日。そして、8月24日、急性大動脈解離でのたうちまわって臨死体験に至った自分の、新たな人生の1周年記念日となります。みなさん、病気をなめないで、体調が悪かったら、無理せずに検査してください。
