報われる明日

昨日、下仁田町に行き、あの有名な、年間30万人が訪れる「日本一の大黒様」が鎮座する「N嶽神社」に伺った。もちろん、商工会の白石局長が事前に根回しをしてくれていたのだが、その日、私も同行して挨拶に行くことは、まったく決めていなかった。

ただ、大吉くじの「見本」ができていたので、2800札の印刷にかける前に、デザインを含めて、確認しておきたかった。それで局長に見せたのだが「いいねぇ」「でしょう」「凄くいい」凄くいいでしょう」と、ありがとうのコダマの後、「今から、店に行こう」と。

私は、5~6年ぶりの参拝になる。N獄神社をベースにパズル小説を各話で伺って以来。宮司は、私を覚えていてくれて、話しはとんとん進んだ。大吉くじは、N獄神社でお祓いをしてもらったうえで、下仁田町に配布されることになった。うれしい。

そして、その事実を高らかに、固有名詞でうたってしまうと神社庁から叱られることになるので(だから私も神社にはアプローチできなかった)、ややあいまいな形で「お祓いされている」という事実だけを記す形に変更することになった。

その代わり、ビジュアルとして「日本一の大黒様」を大吉くじに活用していいという。しかも、局長に無理押ししていた「下仁田だけではなく、他の場所の大吉くじもおはらいしてもらって、記していい?」とお願いしていただいた。

地域のみなさんが元気になれる大吉くじなら「OK」とのこと。別に契約書はなく、互いの信頼に基づく決定ではあるものの、九死に一生を得て、何も怖いものがなくなってしまった私は、N獄神社と心中する覚悟で、全国展開に、改めて乗り出すことを決めた。

白石局長とは、下仁田駅30秒にある茶々というパブに行き、彼はクルマの炎天で、私は大病の後遺症で、ノンアルビールで乾杯をした。美味しかった。局長はミートソース、私はナポリタンを食べ、今後の大吉プロジェクト展開について夢語を交わした。

来週は、いよいよ、おはらい。それまでに、2800札の大吉くじを制作する。そのうち、1400はプレミアム大吉くじなので神の意向を知るための金の鈴がつくことになる。そんなにあったかなぁ。ということで、改めてAmazonで1000個の鈴セットを購入。

この先行投資も、いつか、幸せな笑顔の数で回収されることを、私は知っている。2800札のうち、たぶん数%だろうが、よろこんでくれる人がいる。その人のために、私は、自分の手で、大吉くじを折り続ける。

2024年10月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

ひたむきに

自分で自分をほめてあげたいときは、ひたむきだなぁと感じているとき。

やっぱり、私は職人なのである。誰に言われるわけでも、それをしたから大儲けできるわけでもない。そもそも、誰からも感謝されないのかもしれない。

それでも、私は、ひたむきな人が好きだ。自分も、そうありたいと願っている。だから、10000札の大吉くじを折ろうと思う。

生きているなら、10000枚のハガキ絵を描いて、1点5000円で販売したい。

生きるということは、つらいことも多々あるけれども、ひたむきに取り組めるものがあれば、じわじわと、よろこびがわいてくる。

意外と、いい人生だったと今は感じている。それでいいのだと、感じている。

2024年10月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

10000枚、描きたい

私は、たぶん、大吉くじを10000札、折りました。半分は、トライアルで消費され、残ったなかの2000札は、「ちょっと、どうかなぁ」と思うところがあり、断捨離しました。

それでも、プロセスとしてみると、誰も「待ってくれていない」状況で、九死に一生を得たからと言って(それまでは2000札くらいでした)一気に制作してしまったのは、何なのでしょうか。

たとえば、折り鶴。10羽を折っても、何も始まりません。100羽でも、「変わり者」。しかし、千羽折れば、祈りが通じます。それを10年繰り返すと、何者かになっています。

私の絵は、まだ社会のステータスにはなっていません。自分で「これはいい」と感じているだけです。それが市場価値をもつかどうか、マーケティングしようとは思っていません。

市場価値は、どうでもいいのです。それは、市場が決めてくれればいい。市場にとっては、私が生きていようが、死んでいようが、あまり関係ありません。

でも、もし1000枚描いたら、個展を自分で開きます。そして、人生の目標を10000枚に定め、毎月100枚、年間で1000枚、そして10年間で10000枚、描きます。

それを無料配布ではなく、1点5000円で販売します。もし市場価値があれば、5000万円の売上です。原価は半分。10年間での粗利は2500万円。全部売れたら、世界旅行に行くでしょう。

世界遺産を、1年かけて、めぐるのが私の夢。ちょっと、小さいかなぁ。生きていたら、必ず実現します。

あと10年、生きていたら。

1980年の自画像

2024年10月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

どこかで誰かが

この秋、大吉くじプロジェクトでは、大吉くじを3000札ほど制作することになります。けっこうな数です。

100部の制作に5時間として、150時間。一日6時間が限度なので、25日かかります。まあ、午後から夜にかけて、コツコツと続けることになります。でも、嫌いじゃないんです。

なんか、自分が「職人」になった気分。そして、いろいろなことを考えながら、一つひとつ、「この大吉くじを引いて、だれかが 、ちょっとでも幸せになってくれたらいいな」とか。

「ひょっとしたら人生の大切なコンセプトを感じる人もいるかもしれない」「誰かの心を、いやすかもしれない」と想像しながら、ひたすら、折り続けるのです。

この「どこかで誰かの役に立つ」という想像力こそ、創作の原動力。とはいえ、実際に「役立ったよ」と言われると、それまでの苦労がふっとんでしまいます。

私には、現在30名ほどの大切なサポーターがいるのですが、そのうちの一人から「ハガキ絵が届いた。この海の青色が好き。早速、部屋に飾ります」とのこと。

まじ、涙。うれしくて。たった一人でも、自分の作品を認めてくれて、しかも飾ってくれるサポーターがいることは、本当に、心を支えてくれるのです。

きっとどこかに、まだ、心なごませてくれる、まだ見ぬ友人、サポーターがいると思うだけで、創作意欲がわいてきます。

で、彼は今、具象画よりも抽象画に惹かれるとのこと。はっとしました。私は、結局、ハガキ絵で抽象画を描いているのだということです。

私には、幸いなことにピカソやルオー、スーチーヌ、マティス、セザンヌ、佐伯祐三、荻須高徳、ふれねーやスティールなどの画家の絵を感じとる感性が備わっています。

ならば、ハガキ絵なら、自分でも描けるのかもしれない。そう思えてきたのです。はい。できない。わかるということは、描けるということです。はい。

高校生のとき、池袋の東武百貨店で開催されて展示即売会に、ルオーの水彩画、ハガキ大の水彩画がありました。裸婦を描いたもので「5,000」と値札がありました。

私は、すぐに自宅に戻って5000円をかき集め、東武百貨店に行きました。そしてスタッフに「これをください」といったのですが、「え 君には無理でしょう」と。

500万円だったのですね。単位が1000円。意気消沈した高校生は、そのときに誓いました。将来、ハガキ大の作品を描いて5000円で売れる人間になるぞ、と。

それが、半世紀たって実現しようとしています。感無量です。どこかで、私の作品に共感し、5000円を払って自宅に持ち帰る人がいる、私は、そう信じています。

だって半世紀前の私が、そうだったのですから。

2024年10月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

また、しばし消えます

だいたい季節ごとに、1週間ほど、旅に出ます。それがないと、もともとフリーダムの場でなければ生きられない私は、それこそ生きている意味を見失ってしまうから。

今回は、仕事もかねて、長野(打ち合わせは須坂)・上田(鉄道まつり)・仙台(夜は宇都宮)それにひょっとしたら寒河江に行ってきます。

もともと旅人なので、69歳になっても、日常とは異なる世界に身をおくことがないと、なんだか生きているきがしてこないのかもしれません。

ということで、いってきます。

2024年9月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

大吉BINGO 商標登録

一週間、千葉の山奥でカンヅメになり、情報デトックスをしてきた。万一のために、かろうじてスマホは残してあったが、テレビも新聞もない生活。それなりに、自分をみつめなおし、48枚の「下絵」を描いた。

 天気がよくなってきたので、本日、感性させようと思う。

そのNFTは、いずれアップするとして、山下に広がる海は怖かった。これまで、海を表面的にしか見ていなかった自分は、臨死体験をすることで、海に戻るということの「怖さ」抜きでは、海が観られなくなっていたようで。

昔から、実は、海は怖かった。それなのに、描くときは「海とは、美しいもの。光あふれるもの」という先入観があったと思う。ゴッホが観たように、世界は大きくゆれていたし、不安にみちていたし、重かった。

もともと、絵を描くということは、心象風景を描くこと。心の繁栄されない絵は、写真と同じことになる。光でみてはいけない。光の向こうにあるものが、海や風景の本質である。

そんな情報デトックスの結論を引きずって、自宅に戻ると、特許庁から「登録査定」のお知らせが届いた。朗報である。明日、登録料を支払って、本格的な全国プロジェクトに進んでいきたい。

謎解きクロス、パズル小説、大吉くじ、そして大吉BINGOの登録四天王が、ビジネスにならないはずはない。櫃との世界が、そこにあるから。小さくても、どこかに、廣川州伸の世界を待っているクライアントがいる。

それを信じて、もうちょっとだけ、生きてみようか。

2024年9月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

旅の始まり

私は、いつから人生が旅に似ていると意識したのだろうか。少なくとも12歳の頃には、そんなことは思いもせず、過ごしていたはずだ。

いや、小学2年生のとき、担任の戸塚光枝さんに逢いたくて、小石君と二人で、自転車を漕いだ。住所が頼りだったが、とうとう、逢えなかった。それでも、見知らぬ街に来た事は、どきどきの連続だった。

西部グループのボーイスカウトのような組織に入っていたので、夏にはCampで2泊、3泊は当たり前。日常生活では考えられない時空、体験が、そこにあった。そして、いつしか、旅にあこがれていた。

旅へのあこがれは、確かにあった。

小学6年生の修学旅行で日光に行き、中学3年生の修学旅行で京都・奈良に行った。日常生活とは別の場所に身を置くことが、私の旅の定義だった。加えて、家族旅行もたくさんした。

父は、小学生の私を自主休校させて、伊豆大島、伊東、箱根、志賀高原、清里など、平日の安いときに、家族旅行をさせていた。学校よりも、世界には「ステキな場所がたくさんある」ということを、体験させたかったのだと思う。

たぶん、一年に1週間ほど、私は熱を出して学校に行かなかったが、いろいろな景色にふれて、美味しいものを食べ、絵を描いて、詩をのこしていた。

なんだか、さかのぼれば、やはり子供時代になるのだろう。少年時代、地方に「ふるさと」のない都会育ちの私は、お盆休みで、級友が帰省する代わりに、勝手に、あちこちに旅をするようになっていた。

そもそも、12歳から、アパートで一人ぐらしをしている少年は、珍しい。だから自転車で旅にでたし、小学生のときにハイキングで歩いた山に、自分ひとりで行くようになった。

極めつけは、1980年、半年のヨーロッパ外遊か。あれ以来、小さな旅を重ねているが、大きな旅は、体験していない。出張で、1週間ほど外国ぐらしをしたことも、たぶん20回ほどあるけれど、そのなかで自由な旅は、いずれも、1日か、ほんの数日。

家族をもち、子どもたちを連れて家族旅行に行ったものの、それは、自由な旅ではなかった。仕事で出張し、終わったら数時間、ときには自腹で泊り、散策はしたものの、旅ではなかった、

そして私は、いつしか「人生そのものが、旅路なんだ」と思い込むようになった。どこにいても、毎日、同じ場所にいても、ICUで拘束されていなければ、私は自由に歩き回ることができる。

旅の醍醐味。

本日、山のような仕事を抱えて、出張にいくのだけれど、9月19日、69歳の誕生日には、自分と向き合うたびにでよう。

2024年9月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

誰かが光を観ている

何故、大吉くじを制作するのか。なぜ、どんどん配ってしまうのか。決して、儲かるわけでもないのに? それは、金儲けにはなりません。人儲けにもなりません。では、大吉くじを制作するベネフィットは何でしょう。

私は、大吉くじを1万人に配布できたら。そのなかの数人が、大吉くじを引くことによって、また大吉くじを「お守り」として持つことによって、心が「ほっ」としたり、ちょっとだけ勇気を得たり、ちょっとほっこりしたりする、そんなことが起きると信じているからです。

自分が、そうでした。18歳まで、おみくじとは無縁の「暗い穴」に落ちていた私は、途中、京都、奈良、浅草、鎌倉などを旅するなかで、安価なおみくじを引くようになり、財布にしのばせるようになっていたのです。

自分が、それで救われたのだから、自分と同じような危機に瀕している人も、大吉くじを引くことで、大吉であることそのもので、そこに書いてある言葉で、もう一度、生きようと思ってくれると、私は、本気で信じています。

そのような感性、価値観の人は、1万人探しても、何人もいないかもしれません。ですから、ビジネスにはなりません。でも、ビジネスにならないからこそ、誰かが命がけで取り組む必要があるのです。

私は、そのこちに賭けています。誰も、大吉くじに対する私の気持ちは、理解できないかもしれません。しかし、いつか、千羽鶴を折るように、大吉くじを制作して配布する文化が広がることを期待しています。

絶対に、どこかに、大吉くじに光を見出す人がいるはずです。その人に向けて、私は、どんどん、大吉くじを制作していきます。

2024年9月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

どこまで来ているのか

もし、近くに「死」があるとしたら、自分は過去に目を向ける。もし、死が近づいていることがわかったら、これからどうしようということよりも、自分は何を成し遂げたのかと振り返るだろう。

逆にいえば、ついつい過去を振り返ってしまうということは、死が近くにある証拠になるかもしれない。自分はまだ、ついつい過去を振り返る余裕はない。だから、たぶん、死は近くにあるわけではない。

だからといって、それがはるか遠くということもない。明日ということはなくても、来月ということは、十分にありうる。だからこそ、たまに、自分の立ち位置を確認することになる。

どこまで、きているのか。これから、何をしたいのか。

その一つ、実は「絵」を描いてみたいと思っている自分がいる。今頃、絵を描いたとしても、誰も認めてくれないだろう。それでもかまわない。私は、自分の描いた絵を、作品を、自分が好きになっている作品を遺す。

他の誰でもない、自分が生きた証として。そして、希望的観測だが、ひょっとしたら、一枚か二枚、自分にとってもいい絵が描けるのではないかと思っている。それは、やってみないとわからない。

というわけで、命がけの旅にでることになった。何が生まれるか、また、何も生まれないか。それは、行動してみなければ、わからない。そして、何をしてはいけないかも、わかっている。

死なない程度に、がんばります。

2024年9月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

やっぱり、コツコツと

みなさん、三連休の初日、いかがお過ごしでしょうか。(という枕詞は、本ブログの主旨にそぐわないので、これからは省略させていただきます。いきなり本題の時代です)

kindle出版プロデューサーの案内ビデオを5本観て、資料を読み込み、オンライン説明会にも参加して3時間半ほど、説明を伺いました。そして、主旨には賛同したものの、半年で100万円という価格設定に納得しつつ、「私にとっては実質5万円の価値」と判断して、撤退させてもらいました。

ずいぶん勉強になりました。ひょっとしたら、何かメールでもいただけるかなと思っていたのですが、こちらが引いて以来、毎日来ていた「励ましメール」もなくなり、勧誘もありません。まぁ、私の素性もバレていますから、めんどうなことは避けているということでしょう。

プロモーションでは「見込み客の発見」とともに「見込みのない客」の排除も重要な役割です。100万円を支払わない私には、もう要はないのですね。逆に、潔く、あきらめてくれたので、私としては、まぁ、よかったと思っています。

たぶん、その日の参加者約10人中1~2人が100万円を支払って、kindle出版プロデューサーになろうと、がんばるのだと思います。ただ、私にとっては、Communityに参加して得られるベネフィットは少ない。だって自分でkindle出版はできてしまうし、出版プロデュースもできてしまうから。

というわけで、今後ね。Amazonでプレミアム大吉くじセットの販売を模索しますし、大吉WAKA集2025は、kindle出版で実現しましょう。お楽しみに。

2024年9月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster