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ほんとに誰も知らなかった?
この夏に発刊予定の長編パズル小説「そして誰も知らなかった」は、どんなコンテンツになるのか。その内容は「ほんとに誰も知らなかったのか」というところが、Pointになっている。
何か起きたとき、「予兆」があったのに「気づかなかった」ということもある。昔は「そして誰も気づかなかった」になるだろうが、令和の小説では「本当に、知らなかった」ことを問題にしている。
真犯人が目の前にいるのに、誰も気づかなかったのだが、それは「まさか真犯人が自分たちの目の前にいるとは、気づかなかった」であり「その背景は、知らなかった」ということになる。
たとえば、目の前に、将来自分を殺害することになる人がいたとしても、未来のことなので「気づかない」のではなく、ほんとうに「知らない」ことになる。それが、本小説のテーマでもある。
私は、約70年も、生きてきてしまった。だから、自分の人生の目の前にターニングポイントが、いくつかあったことを知っている。今は「知っている」けれども、そのときは「知らなかった」ことになる。
要するに、あとになってみれば「大変なことが起きていた」ことを知っているけれども、その当時は「大変なことになる」という未来を知らなかった。だから、予兆にも気づかなかった。
それが、ターニングポイントでなければ、日々の何でもない現象であれば、まぁ、どうでもいい現実になる。たとえば「パートナー」との出逢いなど、人生を変える「瞬間」については、だいたい気づかないはず。
何度も、すれ違っているかもしれない。どちらかが、どちらかを、別々に発見しても、相手が誰だか知らなければ、人生と係ってくることはない。その人が、未来にどんな関係となるかを知らなければ、忘却してしまう。
コンテンツのテーマは「知っているのか、知らないのか。知っていたら気づけることも、知らなければ気づかずに、殺害されてしまうこともある。ただ、知っていても防げない現実もあるのかもしれない。
うーん、GWまで、空想を楽しみたい。

謎は深まる
長編パズル小説「そして誰も知らなかった」は、突然、降りてきたタイトルだけど、なぜ、それが「いいのか」は、後付けとして深まっている。
何か起きたときに、わかるまで「誰も知らなかった」ことは、意外に多いのではないか。思いつかないし、知っている人もいない事件。
表に出てきたから「わかる」のであって、こちらが探偵となって、自律的に、積極的に探究しなければ、わからない事件も少なくない、と思う。
だから、謎が、一つずつ、積み重なっていく。それがアガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」の構成である。
わかっていても、誰も「そして誰もいなくなる」事態を止めることができなかった。逃げ切ることはできなかった。
同じように、一つひとつの謎を解くたびに「誰も知らなかったなど」が解き明かされていくけれども、最終的に、大きな謎解きが終わるまで、真相は知らない。
一つひとつは、わかっていても、解決していても、それが全体として何を意味するのかは「そして誰も知らなかった」ということになる。
結論としては、誰もしらなかったのは「誰も死なないのに、長編推理小説が成立する」ということ。私は、日本初のパズル小説作家として、それを証明したい。
どうかな。できるかな。
もちろん、できる。GWに完成し、出版のための編集・印刷・製本を進めていく。
お楽しみに。

そして誰も知らなかった
CampfireのCommunityを中心に、30名ものみなさまにサポートしていただき、完成&発刊を待っていた「そして誰も死ななかった(仮タイトル)」。
今年の夏には「そして誰も知らなかった」というタイトルで、1作12分冊の長編パズル小説として、自費出版することとしました。
タイトルは、もちろんアガサ・クリスティ「そして誰もいなくなった」のパクリですが、「誰も死ななかった」と結論を語ってしまうのではなく、「知らなかった」とすることで、謎は深まると思っています。
2月以降、週末作家として、完成させます。全国初、おそらく世界初、誰もしらなかった新しいミステリーの形を提示いたします。
サポーターのみなさん、楽しみにしてください。
ちなみに、おそらく東横線T駅にある書店では、12冊ワンセット5500円で、第一次は限定100セットとして販売してもらうことになります。
他では入手できません。
Amazonでは、おそらく「中古」として15000円以上で販売される。それは、ちょっと理不尽に思えるので、第二次は限定200セット。
以下第三次400セット、第4次800セットという感じになりますが、そのような数になってくれば、出版社で12セットを1冊にまとめて1冊1800円で5000冊。
いくつになっても、こんな夢を食べて生きている私です。こりない性格ですが、ま、いいか。

きっと誰も死ななかった
パズル小説「そして誰も死ななかった」は、フィニッシュで、出版業界の壁にあたり、まだ出版してくれるところが見つかっていません。おそらく、このままでは、商業出版では無理という結論になりそうです。
そこで、発想の転換を。要は、特別な人たちが、特別な手段で「苦労しても、手に入れたい作品」であると信じて、自前で制作してしまうという考え方です。ちょっと試算すると、50万円あれば、大丈夫。
たった50万円で、25名の支援者に恩返しができるなら、それはGOサインです。だって、一人1000円を24ヶ月、24000円が20名のサポートが続いたのですから、その全部を、恩返しに使えばいいのです。
でも、50万円で、「そして誰も死ななかった」というパズル小説を印刷・製本できる出版社は、ありません。2年間、探し続けましたが、やはり無理筋。なので、発想の転換が必要でした。
そこで「12分冊」にしました。いつもの小冊子、実質20ページを12分冊にすると、240ページのパズル小説ができます。それを箱詰めにして、セットでお届けすればいいんです。
タイトルは「そして誰も死ななかった」から「きっと誰も死ななかった」に変更したいと思っています。ひょっとしたら、死んだかもしれないけれど、あいまいなまま、不確実なまま、謎は閉じていきます。
郵送料は2000円。支援者25名に配布します。別途、おそらく目黒区にあるY書店で、そこだけの限定100部として定価5000円で販売。購入してくれた人には、プレミアム大吉くじと、NFT「アムスの街」を差し上げます。
これで、「種」は蒔かれることになります。あとは、「出したい」という出版社を、静かに待ちながら、長編パズル小説の第二弾を、改めてCampfireの会員システムで進めます。
やることは、見えてきました。
きっと、大吉くじも、この流れに乗って、どんどん普及していくことでしょう。その結果をみて、古希の70歳の春、2026年4月には「廣川州伸回顧展」を開催します。
生きていれば、本人が、毎日トークもいたします。残念ながら死んでいたら、ビデオメッセージを流しましょう。まだ、あと1年あります。実現可能な「楽しみ」であることを、私は知っています。
だって、みなさんがサポートしてくれた実績があるのですから。

仕事にある幸せ
2023年8月24日、急性大動脈解離で緊急入院して九死に一生を得てから、早くも1年と4ヶ月が過ぎた。おかげさまで、まだ、生きている。
これが急性かつ悪性の腫瘍であったら、とっくに死んでいたはず。そう思うたびに、何をしようかと、考えている。
大好きなコンセプトデザインの仕事や本の制作とともに、大吉くじプロジェクトは、粛々とすすめている。それ以外に、私には、週末作家として、やるべきことがあった。
それが「ハガキ絵」の制作である。
私は、1980年に5ヶ月間ほどヨーロッパを旅して、芸術にふれてきた。そのときに、どんなに頑張っても、ピカソやルオー、マティスやゴッホにはなれないと悟った。
それは大変な衝撃だったが、一つだけ、絵に関しては「目標」をもった。それは「代表作を数点、生み出したい」という祈りにも似た願望である。
そうして生まれた、何点かは、私の手元に、少しある。私は、それを芸術DXとして、NFT化している。それを、実費で分けてはどうかと思い始めた。
いくらで売ろうか、というときは5000円でいいけれど、NFTは、やはり800円で卸して1200円で売るパターン。それを10000点売れば、原作は数千万円になるはず。
生きているうちに、それをしていきたい。
ゴッホの絵も、ピカソの絵も、本当に、人々が自宅に飾りたくなるのは、数点になるのではなかったか。
その数点なら、私も、偶然、描けるかもしれない。そして「描いた」かもしれない。ひょっとしたら、部屋に飾ってくれる人がでてくるかもしれない。
古家めぐるでは、トイレに飾っていた。やっぱり、それでは寂しいものがある。自分の部屋に、できればリビングに飾っておいてほしい。玄関でもいい。
そんな絵を「1点」生み出したい。
