各駅停車に彩を添える謎解きクロス

信州上田で、今年もミステリーウォークを推進していただけるとのこと。本当にありがたい。その打ち合わせとともね、残暑が終わって、すでに秋の気配が漂う信州に行き、しなの鉄道の観光列車「ろくもん」に乗ってきました。

上田に通い始めて、7~8年となりますが、いつも新幹線。特急も、高速バスも使ったことがありませんでした。

今回、しなの鉄道を満喫するという目的があったため、ふと思い立って新幹線をやめて、JRとしなの鉄道でけの、しかも快速は使うものの、ほとんど各駅停車で、行ってきました。

本を、一冊、読めました。

行きは、途中でJRの横川駅から軽井沢駅まで鉄道が途切れてJRバスとなり、待ち時間が1時間半ほどあるという、驚きの路線だったこともあり、新幹線なら軽井沢まで1時間半、しなの鉄道は待ち時間を入れて1時間半、計3時間で到着するはずが、朝9時に出て上田到着は16時なので7時間かかりました。

この3時間と、7時間の差を、どう考えるか。それが、人生に対する姿勢、価値観、すべて関わってくる哲学的な問題だと、7時間の間に思い当たりました。

新幹線指定席で行くと、3時間、仕事ができます。

各駅停車でいくと、座席の関係で、満員で立っていることもありますし、ふつうの座席で仕事モードは難しい。なので、いきおい、のんびりと読める本を持ち、読んでは考え、考えては読み。ときどき疲れて眠くなると、うつらうつら。それは瞑想のように、いろいろなことが脳裏に浮かんで消えていきます。

帰りは、行きと横川駅での待ち時間が1時間違うので、家まで6時間。新幹線の倍の時間。

ところが、どっちが充実しているかというと、各駅停車だったんです。驚きました。

これまで、3時間のところを6時間もかかったら、「無駄な時間」をすごしたと思ってしました。

でも、考える時間というのは、人生にも、仕事にも必要なんです。とくにコンセプトデザインという、わけのわからない先駆者の仕事をしている私が、考えることができなくなったら、アイデアを生み出せなくなったら、もう仕事はありません。

各駅停車は、ものを考えるのに、ちょうどいい。

新幹線や特急は、考える場ではないのです。身体がビューんと走っているので、思考が、後ろに取り残されてしまいます。

とくに謎解きをするには、各駅停車で、時間を気にせずに、じっくり考えられるというのは、適しています。

途中で、接続のために30分とか、駅で待ちます。これも、無駄ととらえれば、それまで。

人生において、無駄な時間は、どこにもありません。休んでいる時間も、仕事をしている時間と同じ、貴重な人生の時間なのです。

ああ、そういうことも、今まで気づかずに、ひたすら新幹線で目的地に行く。行ってから、すぐに人に会う。打ち合わせをする。そんなパターンで生きてきました。

なんだか、待ち時間があると、損した気分になるのです。たとえば、接続の時間が少なくて、走って、目の前でドアが閉まって、間に合わなかったとき。次の電車が15分後だと「ああ、何でもっと早くは知らなかったのか」と悔やみました。かつては。

50代あたりから、身体が動かなくなったので、また急ぐと足がもつれたり、階段を踏み外したりするもので、あまりあわてなくなりました。それでも、目の前でドア゛が閉まると、

「閉めたな! なんてこった」

と、あろうことか運転手の肩に悪態をつく自分がいました。

それが、これからは違います。もし。目の前でドアが閉まって、乗れなかったら「あ、時間をくれてありがとう」と、運転手さんに感謝できる気がします。

各駅停車は、そんなことを教えてくれました。

ちなみに、各駅停車の旅では、謎解きクロスの本が売れると思っています。きっと。それを意識して、問題を作りたいなぁと思っています。

 

世界が、微笑みかけてくれた日

みなさんは、覚えていますか?

自分が生まれた、この世界が、少なくとも「自分の自由にはならない」とわかったときの、衝撃。たぶん、小さいころの話でしょう。私の場合も、たぶん、小学生。五年生のような気がします。

でも、まだ心のどこかに、もう少し大きくなれば、大人に近づけば、もっと別な自分になれると思っていました。

そして、時はながれ。

ひょっとしたら、高校生のときかもしれません。自分が、世間でいわれている天才のような「特別な頭」をしていなかったとわかったときの衝撃は、忘れません。

大学生のときにも、衝撃はありました。結局、この世界のなかで、自分の居場所がみつからない。ここで「居場所」とは、いわば自分のために用意されている「特等席」のこと。

私の人生では、どこにも、特等席はなかったのです。だから、ゼロから自分で関わり、自分の人生を自分で切り拓かなければいけなかった。誰も認めてくれませんでした。

そうしてまた、時はながれ。

あっという間に、50歳になっていました。そこで書いた本が「週末作家入門」です。そのとき、私は「すでに作家なのではない。夢みるころはすぎたけれど、これから作家になる」と宣言しました。

そうして、さらにまた、時はながれ。

今、少なくとも「謎解きクロス」という世界は、つくることができました。私のことを作家と呼べるのかは、「新しい創作物を生み出したかどうか」にかかっていると思っていました。

私は今、自分でも、作家になったんだと感じています。時はながれましたが、よく努力もしました。そしてたくさんの人に逢い、助けられ、助けて、ここまできています。

9月19日、私は、久しぶりに、週末の達人である小石雄一さんの主催する講演会で講師を務めます。

自分が、週末作家として何を生み出してきたか。人生のなかで、ものをつくること、原稿を書くことは、どんな意味をもっていたか。そして今、どこに向かおうとしているのか。

みなさんとシェアしたいと思っています。

遅れてきた作家。廣川州伸。これから、まだまだ、たくさんの作品を書きたいと思っています。

この世界が、自分にも、微笑みかけてくれる日を求めて。

オーダーメイドの謎解きクロス

地域活性化の仕事は、すべて「オーダーメイド」となります。というのも、本来、全国の市町村で、全国多々ある「地域」と呼ばれるエリアで、同じ商店街は一つもなく、同じ嗜好をもつ住民もいないからです。

ところが、ここ30年のうちに、とくに21世紀になってから、全国の商店街の顔が、整形されて、どこも「こぎれいな美人」になり、個性がはぎとられていきました。

すなわち「違うということ」が「異質」として排除され、全国、どこにいっても同じ品質という名のもとに、均一化が図られていったのです。

均一ということは、いい面もあるとともに「自由度」や「楽しさ」が減っている、そこのバランスを考えなければなりません。高品質で均質化されれば、すべていいというものではありません。

謎解きクロスも、地域活性化のミステリーウォークも、ルールや形式は「均一化」されているものの、その共通ルールがシンプルでわかりやすいものであるがゆえに、「問題」は、地域の数だけ作ることができます。すなわち、100%オーダーメイドなのです。

最近、均質化されている地域ですが、均質化されてしまったからこそ、その地域にいかない希少性に光があたり、そこでしか体験できない魅力を知りたい、伝えたい、体験してほしいという思いが、謎解きクロスの問題に反映されていきます。

謎は、地域の数だけある。イベントの数だけあるのです。

すべて、オーダーメイド。それにもかかわらず、前回のブログで述べたように「点と線」がつながって、不思議な符合をもつ図形が描かれている、そんな感じです。

実は、世界は魅力的なデザインで満ちていて、そのデザインは、FC展開されている店にはない、大きな価値を打ち出しているのです。

地域活性化とは、「みんなちがってみんないい」ことの発見。

だから、謎解きクロスは量産がききません。でも、5年間も、関わっていると、それなりに作品世界できてきます。

本サイトは、その集大成となることでしょう。

でも、その価値が「お金」に代わるには、もうしばらく時間が必要。それまで、単価が高くて、ご迷惑をおかけしますが、これからも、よろしくお願いいたします。

謎解きクロスの「点と線」

還暦まで生きてしまうと、人生において、だいたい「これから、どんな展開になるか」という見通しが立つようになります。いいことも、悪いことも、突然やつてくるのではなく、「あの点」と「この点」が、いずれ結びつくと感じたり、実際、結びついてきたりと、そんなことが増えてきます。

でも、大きな視野に立ってみると、「あ、実は、関係していたのか」と、不思議に感じることもあります。別に意図して進めたわけでもないのに、調べてみたら、符合していたというケースです。

まず、「深谷」「渋沢栄一」「渋沢秀雄」のラインがあります。

次に「渋谷・西小山」「五島慶太」「渋沢栄一」「渋沢秀雄」というラインもあります。

ここで、「渋沢栄一」「伊豆下田」は「伊豆急行」「五島慶太」というラインになり、実は「五島慶太」は「信州上田の青木村」の出自。

さきほどの「渋沢栄一」のふるさと「深谷」と「信州上田」がつながります。

てころで「謎解きクロス」の関係でいえば、2008年に東急電鉄さんの紹介で「伊豆下田」でミステリーツアーができ、2009年に「渋沢栄一」が開発した産業地、遊郭のある「西小山ミステリーツアー」が始まりました。

その西小山ミステリーツアーは、私の友人のミステリー作家・故伊井圭氏が2003年に始めた「深谷宿ミステリーツアー」を源泉としています。伊井圭さんが亡くなられた後、深谷で謎解きクロスによるミステリーツアーを、私が進めているのですが、ここで、複雑な点が線で結ばれていることがみえてきました。

登場人物の一人「五島慶太」さんは、東急電鉄の創業者であることはいうまでもありませんが、昭和34年8月14日、伊豆急行の開通を目にする前になくなられたのですが、日本経済新聞社の「私の履歴書」のプロフィールで、こう書かれています。

『昭和初期の財界不況に遭遇、「しばしば自殺を考えるに至るほどの苦しさを経験した。時には社員の給与にも困難し、十万円の借金をするのに保険会社に軒並み頭を下げて回り、みな断られて小雨の降る日比谷公園を渋沢秀雄君とションボリ歩いたこともあった』

ここで「謎解きクロス」と「渋沢秀雄」がつながってくるから、人生は不思議です。もちろん「廣川州伸」というちっぽけな点も、でてきます。

1968年の春。中学1年だった「廣川州伸」は、「渋沢秀雄」という人物から書留をもらいました。なかには、達筆な筆(万年筆)の挨拶状とともに、1万円が入っていました。「渋沢秀雄」は、「渋沢栄一」の四男です。何で、彼が私に1万円を送ったのか。それは、「廣川州伸」が、小さな親切運動の標語に応募し

君の手は ゴミを拾う手 捨てない手

で、中学生ながら、優秀賞をとったからでした。そのときの渋沢秀雄の手紙は、私には価値がなく、大正八年生れの父が「この人は凄い人だよ。よく、こんな偉い人から手紙をもらえたな」と感激して、涙している姿を見て、1万円だけ受け取って、手紙は父に預けました。父は、礼状を書いたはずです。

一万円は、当時、ニニ・ロッソが大好きだったので、トランペットを買いました。余談ばかりですみません。

「渋沢秀雄」は、「五島慶太」と、昭和初期の不況のときに、日比谷公園を歩いていたのです。

私は、必ず謎解きクロスによるミステリーウォークを「日比谷公園」ですることになるのですが、そこは10代のころから、何度も何度も歩いてきた場所の1つ。

「廣川州伸」は「五島慶太」とも、「渋沢栄一」を通して、つながっていたのです。なんだか、凄いことになりました。

これから、私は「渋谷」とも、深く関わっていくことになるはず。そのとき、「五島慶太」「渋沢栄一」「渋沢秀雄」「深谷宿」「信州上田」「伊豆下田」「西小山」など、点と線で結ばれた歴史のなかで、一体、どのような図形が描けるのでしょうか。

実は「廣川州伸」「謎解きクロス」を加えることで、これから全国に知られる、大きなムーブメントが始まることになります。

 

誰と仕事がしたいですか?

謎解きクロスファンのみなさま、お元気ですか?

本ブログは、謎解きクロスの開発者である廣川州伸が、日々の記憶として、みなさまにお伝えしたいことを、自由に書き留めておくものです。話題は、そのときどきに「書きたい」と思ったことを、受けようとかは考えず、なるべくストレートに、素直に表現したいと思っています。

謎解きクロスは、5年ほど前に研究を重ねて生み出した、新しいタイプのクロスワードパズルです。

そのときは、まさか特許になるとは思わなかったので、情報をどんどん公開していました。情報公開から6カ月以内なら(ソフトウェア特許でもビジネスモデル特許でも、何かの機械にソフトを重ねて申請するにしても)特許は認められるとのこと。

特許庁に通って、いろいろご指導を受けたのですが、結論としては「もう特許をとるには遅いものの、すでに実績がある部分については著作権で守られる」ということが判明。

かくて、本サイトは、なかなか重要なポジションになっていることがわかってきたということです。

ブログで展開している内容を含めて、謎解きクロスは、すべて著作物なんです。クロスワードそのものは特許でも何でもなく、誰でも制作することができますが、特別な形式美をもつ「謎解きクロス」については、作者である廣川州伸に、著作権が発生しています。

で、これまで5年間、私は「誰に強制されるでもなく、誰に発注されるでもなく」謎解きクロスの問題を作り続け、地域活性化のためにミステリーウォークに、謎解きクロスを活用し続けてきました。

おかげさまで、今は年間数万人規模で、謎解きクロスを解くという利用者の方がでています。

その数が、100万人を突破すると、きっと何か新しいことが始まる。たとえば、本サイトが、月間で100万人のみなさんに観ていただくようになれば、当然ながら「広告」を出すことができます。

地域活性化の視点では、たとえば鉄道会社さんが、バナー広告を出してくれる。自治体さんが、出してくれる。地域の商工会議所さん、商店街さん、みんな少しずつ、出してくれる。

何が起こるでしょう。

もし、その収入が月間で50万円を超えたら、私は、毎週の週末に、全国の「地域商店街」を支援するために、自作の謎解きクロスをもって、プレゼンに行けるでしょう。

これまで、自腹で通っていた世界も、このサイトが活況となることで、地域のみなさんに、正々堂々と、「サイトの広告で得たお金で来ましたから、交通費と宿泊費はいりません」というお話ができることになります。

そこで何が起こるのか。

微力ながら、いろいろな地域に、謎解きクロスによるミステリーウォークのパッケージを届けることができます。

これは、10年前に描いていた世界そのものです。

さあ、面白くなりました。

来年、謎解きクロスの本が、多発的に発刊されることになります。その本が引き金になって、本サイトのアクセスはビッグバンのように、「あ」と思ったら、100万人の定期的にアクセスしてくださる利用者の参加する謎解きサイトになっているはず。

みなさんは今、そんな未来の姿の、「ゼロの時代から知っている歴史の目撃者」となっているのです。

赤羽のコロンビーノ、川口のCO民家、そして深谷のFMふっかちゃん。竹早高校の同窓会である「篁会会報」の謎解きクロス。

いずれも、まだほとんど知られていなかった謎解きクロスわ採用し、PRに一役買ってくれたことになります。

感謝するとともに、本サイトを作成してくれている三重県四日市に在住のパートナー福田さんに、改めて深く感謝いたします。

ふくちゃん、また、四日市に飲みに行きます!

 

どこで利益を得るのか

謎解きクロスは、登録された商標です。

ただ、それは権利ビジネスをするためのものではありません。むしろ逆で、どんどん、みなさんに使ってほしい。決して、訴えることはしません。私が、謎解きクロスを商標登録して守ったのは、普及するときに、誰かから「それは使えない」と指摘される事態を避けるためです。

そこまで説明すると、「では、どこで利益を得るのか」と聞かれます。持続可能なビジネスにしなければ、謎解きクロスも、それで進めるミステリーウォークも、決して普及していきません。

一般的に、商店街にはお金がないので、補助金などが潤沢に使える場合は別として、謎解きクロスに資本投下をしてくれる、そんな夢のようなことは起きません。

もし、謎解きクロスの作品で「売上」になり、利益になるとしたら、それは「原稿料」の形になります。

謎解きクロスは商標ですが、それで作られたミステリー小説は、著作権で守られています。著作権があるということは、創作物ですので、作品として原稿料(印税)をいただくことができます。

そこが、私の勧めるべきビジネスモデルなんです。

これは、10年前から、決めていました。原稿料をいただける場合に、私は、ミステリーウォークを実施します。

どこで利益を得るか。その一点しかありません。それ以外ところは、私は、それぞれの作家や、プロデューサーのみなさんが、別の項目で売上をつくり、利益を得ていただきたい。

先日、あるプロデューサーの方から「廣川さん、ミステリーウォークを10万円や20万円で受注してはだめ。少なくとも100万円はとらないと」とご指導いただきました。

トータルでは、そうかもしれません。

でも、それは私がする仕事ではありません。私は、原稿料をいただくために、地域に足を運び、取材し、そして謎解きクロスという作品を書くのです。

その結果、みんなが待ちにある謎に目を向け、街歩きが好きになり、ひいては、この世界が「案外、捨てたものではない」と、生きるに値する世界だと、自ら気づいてくれることが、私のミッションです。

世界は、謎でみちている。そしてその謎は、きっと解ける。楽しく解ける。そんな場所を、たくさんつくりたいなぁ、と思っています。

いよいよ、都心で、謎解きクロスが始まります。「あ!」と驚く仕掛けで、その謎解きは進んでいきます。その仕事を受注するとき、私は、相応の原稿料をいただき、自分の責任で、地域のみなさんに取材し、地域の魅力を肌で感じられるように、待ちを歩き、頼まれもしないのに、何度も何度も、飲食店に入り、飲んで食べ、話、そして町を彷徨します。

現場に即した、歩いて感じられることを重視したミステリー。それが私のつくる作品です。

 

 

台風の目になりたい

最近は、あまり耳にしませんが、かつて「番狂わせ」をするかもしれない個人やチームを指して「これは台風の目になるかも」という話を、よく聞いた気がします。

最近、耳にしないのは「台風で災害に遭った人たちの気持ちを逆なでする」として、炎上するからかもしれません。

今、ネットの世界では炎上ばやり。日常生活で怒りが満ちているのでしょうか。ともかく「そんなことで?」という内容でも、私たちは怒ります。私も、待ちを歩いていると怒ることは一度や二度ではありません。何をしても、人が多いので「あれ?」という人たちがいます。一人でも変な人はいますが、ちょっと数が増えると、とたんに豹変することがあります。

たとえば、二人か、せいぜい三人しか通れない歩道を、スポーツバッグを下げた若者たちが、列をなしてやってきます。そんなとき、みなさんはどうしますか?

自然に、道を譲るのがエチケットのような気がしていましたが、50人くらいの集団が歩いてくると、立ち止まり、道のわきに出て通り過ぎるのを待つのが、ふつうのようです。

でも、昔の人間の私は、体力がなくてケンカが弱いにもかかわらず「大名行列じゃあるまいに」と怒り、そのまま前に歩いていきます。すると、恐ろしいことに「話に夢中で前をみていない者」や「スマホに夢中で前をみてない者」が多数派。

当然、ぶつかります。私は、そういうときには必ず膝が出ます。手を出すわけにはいかないので、膝を挙げて腰のあたりを弾き飛ばします。当然、何人か、倒れます。そしてようやく、何が起きたか気が付くのです。ぶつかるまで、気が付かないなんて、おかしいですよね。

私に、再び怒りがこみ上げてきます。

あ、もちろん相手が女性の場合は、そんことはしません。車道に出て、対向車を停めるか、大きく蛇行してもらって、しのぎます。

でも、怒りは収まりません。

そういうことが、最近、とくに増えている気がしています。そして、私の怒りが伝わると、みんな「すみません」と謝るのかと思ったら、何か不思議な生物でも見るように、驚いた顔で起き上がり、さっさと逃げていきます。その後ろに列を作っていた若者たちも、さすがに気づくのでしょう。無言で、なんとなく2列が1列になります。私が歩いている間だけですが。

つい最近、駅のホームでのこと。カギのついたキーホルダーのようなものを、高校生が落としました。気づかずに(そう見えました)友だちと話しています。友だちも、気づかなかったようです。

拾って、「落としたよ」と渡してあげたのですが、顔に何の変化もなく、ただ、受け取ってポケットにしまいました。

まあ、ありがとうございますと、喜んでくれると創造していた私が、甘ちゃんでした。

今まで、電車の中でスマホを落とす人がいて、何十台と、ひろってあげました。お礼を言われたことは、本当に少ないです。これ、老若男女、そうなんです。拾われたことを、よろこんでいないというのが、顔でわかります。

一体、世間で何が起きているのでしょうか。

何が、私たちを、つまらない人生に引き込んでいるのでしょう。道を歩いていて、ぶつかりそうになったら互いに避ける。ぶつかったら、互いに謝る。落とし物をしたら拾うし、拾われたら感謝する。

そうすることが当たり前の車かいのほうが、私は居心地がいいし、楽しいのですが、「かかわりになりたくない」という人にとってみたら、拾ってくれる人も、さわりたくない相手なのでしょうか。

そんな、うっぷんだらけの現実社会に対して、たとえばメイド喫茶にいけば、何でもかんでも尽してくれるし、キャバクラに行けば、つまらないおしゃべりにも、よろこんでくれる。

そして、そこにお金が介在する。

一体、誰が、そんな社会を目指したのでしょう。

というわけで、小さな怒りが連なって、大きな怒りを忘れるようになっていると、私はみているのですが、どうでしょう。

ところで、台風の目になりたい、と思った私は今、謎解きクロスを全国区に広げようと必死であがいています。なので、台風に備えているみなさんには、ちょっと申し訳ないのですが、台風が来ていることが、実は、とてもうれしい。

これは、散歩しながら、思ったことです。

謎解きクロスは、ミステリー界の台風の目になるかもしれない。今、本気で、そんなことを考えています。

 

 

インバウンドも謎解きの時代に

昨夜、JTBの大谷さんと、北千住で一杯。二杯。三杯。そのあとは忘れましたが、楽しく旧交を温めさせていただきました。

大谷さんは、謎解きクロスの「最初にアイデアをくれた人」として歴史に残っている方です。

2009年、千葉県でミステリーウォークを展開しようと、大谷さんとJR大原駅に向かう外房線の車内で、打ち合わせ。そのとき彼が

「ぼくは、クロスワードが大好きなんだけど、謎解きの問題をクロスワードでやってくれませんか?」

といいます。私は、難題が大好きなので、ひとまず

「それ、面白いですね。できると思います。考えてみます」

と応えました。その数週間後、勝浦で初めて「クロスワードパズル」の暗号を解くミステリーウォークが行われ、180名くらいのみなさんが楽しんでくれました。

ちょうど、チリの地震で津波が勝浦まで押し寄せた時。翌年に東日本大震災があることを、まだ知らなかった私は、生れて初めて、川の水位が1メートルほど減ったあとで、3メートルほど高まって、川からあふれそうになる「津波」を観ました。

地元の古老によると、50年前にあった津波は、川の堤防を超え、水の高さは2階近くまでいったとのこと。

1年後、銚子の旭市(旧飯岡)で同じような波が来て、海に近い一軒家が100棟近く、海にもっていかれたのですが、その痕跡を確認。私が、財団の仕事で忠鉢先生に会いにいったときに打ち合わせをした喫茶店は、幸いなことに一階部分の天井近くまでの浸水ですみ、建物をもっていかれることはありませんでした。

そのとき、私は勝浦で、津波を観に行った行為を恥じ、すぐ高台に逃げなければいけなかったと反省していたのです。こういうことがなければ、自分だけ大丈夫、せっかくなら観たいと思ってしまうのですね。

そう、いずれも東日本大震災前の出来事。日本の社会は、東日本大震災の後で大きく様変わりしたわけですが、私が大谷さんに謎解きクロスにつながるアイデアをいただいたのは、2009年だったのです。

あ、昨夜。北千住に私は、2006年に深谷に向かう高崎線の中で「探偵@ホームズの事件簿」の企画書を書き、ミステリー作家の故・伊井圭さんに見せていました。そのときの企画書が廃棄資料の山から出てきたので、廃棄せず、大谷さんに見せたいと、もってきたのでした。

私は、少なくとも2006年冬の段階で、自分が深谷宿ミステリーツアーを受け継ぐこと、いずれICTを駆使した展開で、謎解きをして、「探偵@ホームズの事件簿」を書きあげることを(まだまだ道半ばですが)夢見ていたのです。

そんな大谷さんが、今度は、こんな話をしました。

「インバウンド、とりわけ中国人が楽しめる謎解きクロスを考えてください」と。

中国語は、私にはわかりません。でも、中国語が書けて、日本語がわかる人はたくさんいるので、一緒につくればいいというのです。

インバウンドについては、一昨年の3月に、神奈川県の黒岩知事に謎解くクロスによるミステリーウォークを提案させてもらったとき、

「インバウンドはできないの?」

と指摘され、英語版の謎解きクロス5×5のアルファベットのインデックスを、3日かけて作り上げたことがありました。

その後、元講談社の敏腕編集長だった和泉さんからも、同じ指摘をいただきました。大谷さんで、3人目。

私の直観では、プロデューサーが3人も「インバウンドに向け謎解きはイケル」と指摘したのですから、いけます。

英語の次は、中国語?

中国語を書ける日本人、ないし日本語にも詳しい中国人の友人を探して、企画を詰めなければ。大谷さんによると

「インバウンドで謎解きができるのは、あと2年くらい」

だということです。急いで、行かなくちゃ。

 

パッケージ化して提供できないかなぁ

みなさん、こんにちは。いよいよ8月。厳しい残暑、お見舞い申し上げます。

地域活性化には、2通りの予算立てがあります。たぶん。一つは、補助金がおりてきて、それを活用するものです。でも、いろいろ、不自由な一面もあります。そもそも、全額というのはなく、3分の2ないし半分は、やっぱり、どこかからお金をみつけてこなければなりません。

現実問題として、地域の商店街、商工会議所には、当然ながら「予算」はありません。それでも、地域を元気にするためには、何かを進めていかなければなりません。

そのひとつの仕掛けが「サイモンズカード」であることは、すでに何度か、ふれてきましたし、私が地域活性化を進めるときには、課なら術、セットとしてサイモンズカードの仕掛けをご紹介します。残念ながら、まだ一度も、宇井行に成功したことはないのですが。

で、補助金をあてにしないで、なおかつ効果的な地域活性化ができないものか。そのとき、使える金額の上限は、たぶん20万円~30万円。これならば何とか、やってみようかという商店街、地域がでてくるのではないでしょうか。

その金額で、何かを成し遂げるには、たとえば「賞品」や「参加賞」は寄付してもらう、印刷は商工会議所の予算で「支援していただく」などの裏技が必要になります。

で、純粋に「交通費・宿泊費」で10万円。

「企画・取材・原稿料・印刷費」で10万円。

そこに、オプションとしてスマホを使ったAR(拡張現実)の仕掛けを導入して盛り上がることができれば、もう10万円。

この最後のところに、謎解きクロス&COCOARでのコラボがでてきます。もちろん、今はドリーム(夢)のコラボなんですが、そこに電子書籍の発刊を加えると、どうも、実現しそうな気がしているのです。

通常、ARの仕掛けを使うと数百万円。10万円でできるはずがありません。でも、パッケージ化を進めておき、同じ「謎解きクロス&COCOARパッケージ」を使って、そこから謎解きのヒントをゲットするパターンに進めていければ、ランニング・コストは抑えられる。

そうはいっても、イニシャルコストがかかります。

それをどうするか。そこに、クラウドファウンディングないし補助金の投入がありうるのかと。すなわち、電子書籍を含めて、最初につくってしまい、それをうまく活用するというものです。

この発想、この秋のミステリーウォーク・シーズンに企画を進め、いろいろ試してみたいと思っています。

来年、謎解きクロス&COCOARがブームになることを、ぜひぜひ、期待してください。

 

 

 

夢のプラットフォーム

こんな夢を観ました。もちろん、白昼夢です。
たとえば、すでにAR(拡張現実)で遊んだことのあるユーザーが
10万人規模でいる時代。
そのみなさんを、フリーの会員としてAR倶楽部を作ります。それには、プレミアム会員があり、会員証として年会費3000円で、社会貢献ができる「サイモンズカード」が発行されます。
プレミアム会員になると、AR体験について、会員サイトにリポートを行うことができます。また、会員サイトには毎週、全国のリアルな
場所を使った10万円争奪の謎解きクロスが発表されます。
この10万円という賞金は、謎解きクロスで勝ち残った10人で1万円ずつ分けるのですが、プレミアム会員に現金が渡るわけではありません。
会員には、1万円を寄付する権利が与えられるのです。
その権利を行使する対象は、AR体験ができるイベントの中で、公共性が高い団体を10団体選び、そこに寄付していただきます。
この、サイモンズカードのプラットフォームは、地域活性化をすすめる持続可能性の確保を目的としているため、パブリシティ効果が期待できます。ブランディングになるのです。
私がもし、宝くじで1億円をゲットしたら、さまざまな地域を巻き込んで、謎解きクロス&ARのプラットフォームをつくり、全国に100近くある公共(赤字)鉄道に、このARクラブ会員しのプラットフォーム参加を呼びかけます。
鉄道と謎解きクロス、そしてARは相性がバツグン。そこにサイモンズカードを上乗せすることで、持続可能なビジネス・プラットフォームが生まれることになります。
さて、ここで、さらに夢は続きます。
1億円の資金は、厳しい気がしますが、たかだか、国民一人あたり1円の気持ちがあれば、達成できる規模のコスト。
何とかなります。
来年、この夢が現実になりますように!