日本一の大黒天が登場します

みなさん、台風の備えは、大丈夫ですか?

本日は、ちょっと記念すべき出来事がありましたので、こっそりシェアします。何と、群馬県にある中之獄神社、あの日本一の黄金大黒天のある神社で、下仁田町飲食店組合で配布するオリジナル大吉くじのお祓いをしてくれることが決まったのです。すごいでしょう。

どんな効果があるのか。やはり、下仁田町といえば「こんにゃく」と「下仁田ねぎ」と「ジオパーク」なんですが、パワースポットの中之嶽神社にも、根強いファンが訪れます。そこで、お祓いしていただいた大吉くじを、下仁田を代表する16店の飲食店で食事をした人に配られる大吉くじのお祓いをしてくれるのです。

1年越しの交渉、というわけではありませんが、コロナ禍の収束を確認してからのイベントなので、このタイミングとなったということです。これから、地域活性化で行われる大吉くじプロジェクトは、それぞれ、地域を守っている神社のお祓いをしてもらった大吉くじを配布することになるでしょう。

信州上田では、残念ながら、神社とのコラボは実現していませんが、下仁田町での展開を観ていただき、いずれ、実現すると思っています。もちろん、伊豆下田でも、神社とのコラボを実現していきたいです。それは、全国展開には不可欠のコラボと認識しています。

たぶん、11月以降になりますが、下仁田町商工会の快挙、お時間のある方は、直接、訪問して、リーズナブルで美味しい、下仁田町の飲食店をグルメ散歩してください。特別バージョンの、金運バッチリの大吉くじをひくことができます。

2024年8月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

息を殺し、通り過ぎました

昨日、2024年8月24日は、急性大動脈解離による緊急入院から、ちょうど1年間が過ぎた「記念日」でした。ひょっとしたら、また、あの惨劇が繰り返されるのではないかと思うと、とても、お酒で乾杯する気持ちにはなれませんでした。

ただ、今、私は、みなさまに支えられて、かろうじて、にせよ、必然的にせよ、生きて呼吸し、こうして言葉を残すこともできるようになりました。あのまま、暗黒の時空に落ちて行ってしまったら、私の今はなかったわけです。

本当に、恐ろしいことです。とともに生きて、みなさまのご活躍を遠くで眺めていられる幸せ、みなさまの幸せを自分事としてうれしく感じていることの幸せをかみしめつつ、24時間、息を殺して、ひそんでいました。

さて、おかげさまで、私は生き残りました。この命、無駄に使うわけにはいきません。

私にできることは、もう少し生きて、多くのみなさんに、現代情報社会の闇にさらされているみなさんの潜在意識に働きかけ「大丈夫。生きているだけで素晴らしいこと」という確信を、配布していくことです。もう少し、生きていたいです。

無理しない程度に、仕掛けています。Amazonで、大吉くじや、大吉くじのコンテンツである大吉WAKA集2024に紐づけされた「アート作品」を、セット販売していくために、商品コードの取得を申請しました。これで、晴れて「リアルな販売」ができるようになります。

私は、ブランド戦略構築の専門家です。そして、SNSは信じていません。リアルな人とのつながりを確認するツールとして活用してはいますが、不特定多数のネット住民のみなさまと、コミュニケーションしている時間は、正直、ないと思っています。

これが20代なら、ユーチューブで大吉くじのプロモーションをして、キャンペーンを張ったことでしょう。でも、私には、私のできる方法で、進めていける知見もあります。いずれ、成功事例として「伝説」になると思われます。

もちろん本ブログも、そのために書いています。アクセス解析はしていないのですが、たぶん、本ブログを膨大なネット情報空間から探し出し、分離し、読む人は、「ゼロ」だと思っています。ただ、いずれ「1万」には、なると思ってもいるのです。

その日のために、生きている限りは、本ブログは、大切にしていきたいと思っています。それゆえ、FBは、今まで通りに「ただ、拝見するだけ」に徹したいと思い始めています。

知り合いとしかつながっていないFBですが、まじめに考えていることを書く場ではないので、あまり、労力をかける意義を感じていないのです。対して、本ブログは、おそらく「思考の記録」の意味付けもできるとみています。

というわけで、誰もみていない本ブログ、誰に語り掛けているかわかりませんが、引き続き、(自分に向けて)よろしくお願いします。

2024年8月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

体調と大腸との相関(2)

昨日、時間切れで途中にしたコンテンツのつづきです。

2023年11月に、私は急性大動脈解離の再発を防止するため、時限爆弾とみられていた直径35ミリの大動脈瘤を無力化するための手術を受けました。最初はカテーテルを使って、大動脈にプラチナの人口動脈を入れる予定でしたが、その方法では「10年後に、再手術が必要になる」とのこと。

それで、血管の調査をしたり、身体の体質を調べたりと、いろいろな1ヶ月くらい、ときに1週間「検査入院」して、心臓のウォッチもした結果、開腹手術でいけめ、と、カミの手を持つ若手の医師が判断してくれたのです。心臓の近くの血管は「あれ? すごくきれい。50代の血管だね」と言われました。

大動脈解離も「自力で血管を再生する」しか治療法はなかったのですが、開腹手術のあとも、事故の再生能力に期待するしか、手はなかったのです。

で、手術の前には「腸内にあるもの」をすべて洗い流し、細菌も殺して、一度、まっさらの状態にして執刀してもらったのですが、問題は、手術後。1日ICUで絶対安静にしたあと、「自力で一般病棟(個室)に戻ってください」と言われてびっくり。40日間安静にしていたので筋肉がなく、とても歩ける状況ではなかったからです。いたずらに、体重だけが減っていました。

でも、優しい看護師さんが「無理ですよね。車いすを用意します」と助けてくれて、ベッドに戻ったのですが、それから4日間、ガスがでませんでした。大腸が、熟睡していたのです。最期はガスがでて、食事もおかゆからふつうの減塩食になり、東京一美味しいといわれる病院食がたべられるようになりました。

そこで、私は「エノキのチカラ」を知ることになります。びろうな話題なので、ここまでにしますが、その体験から、退院しても、私は「キノコのチカラ」にすがる食生活を送ることになりました。

理屈は、わかりませんでした。ただ、キノコを大量に食べていると、「ちゃくと大腸が働く」のです。これは、経験則です。キノコが少ないと、なぜか、大腸の調子がくずれます。もちろん根菜、キャベツなどは必須ですが、キノコを食べなければ、どうも、相乗効果が気体できなかったのです。

実は、私は40代は太田胃散、50代・60代は、ほぼ毎日、食前にキャベジンを飲んでいました。そうしなければ、遺産が増えて、胃潰瘍を誘発するからです。たぶん、ピロリ菌も、胃の中には安住していたと思います。それが、手術によって、一度。リセットされました。

実は、2023年4月あたりから、私は「フコイダン」を摂取していました。だいたい沖縄もずくのときが多く、胃が痛いときには、1回に3パックを、朝昼晩と食べていました。実は、その塩分は、それだけで1日の摂取量を超えていたのですが、ピロリ菌は、だいぶ減った気がしていました。

府会談は「胃」に効果的ですが、いくら摂っても、大腸までは届きません。経験則として、大腸に効くのはキノコ、とりわけエノキは優れている。そういうことに気付いて、半年以上、リハビリしながら、もずく&キノコの摂取を続けてきました。その理由が、NHKの特集で、解明されたのです。

そろそろ、仕事に戻らないと。今日は週末なので、作家活動に専念します。下仁田町の大吉くじPJの企画書が、本日の楽しい仕事になっています。

つづきがあれば、「3」として書きます。

2024年8月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

体調と大腸の相関(1)

いつもサポート、ありがとうございます。

ときどき、NHKから新しい知識を仕入れるのですが、腸内環境を整えるときのポイントは「食物繊維」であり、しかも、同じものを大量に摂るよりも、いろいろな食品から別々の食物繊維を摂るのがいいらしい。

その理由としては、数千もある腸内善玉細菌の生育には、それぞれの細菌に、それぞれ栄養となる食物繊維に「違い」があるとのこと。それゆえ、一つの種類の食物繊維ではなく、なるべく多くの食品を、少しずつ接種するといいことになります。

実は、2023年8月24日、急性大動脈解離で緊急入院してから、2週間の絶対安静と断食、4週間の絶対安静と体力回復、1週間の体質検査、2週間の大動脈瘤の外科手術などを通して、私の身体は、リセットされたようです。

それまで「不健康」「メタボ」「毎日飲酒」の私が、どうしたら再び大動脈解離にならないようにするか、模索するなかで「大腸環境がポイント」だと、理解しました。というのも、もう一度「強い腹圧」をかけたら、次は「暗黒の死」となるからです。

そして、リセットした私が大腸のために経験則として実行したのが「エノキ」の定期的な摂取となります。食物繊維のなかでも、エノキが一番、私にとっては効果的でした。8ヶ月間、エノキをとることで、大腸の環境を整えてきたのです。

あ、そろそろ仕事。続きは、次回にいたします。

2024年8月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

晴れて職人になります

みなさん、お元気ですか?

おかげさまで、私の身体は健康に向かい、講演会の仕事もできるようになりました。(命と引き換えにびっくりするほどの丘ねを使いましたが、生きててよかった)働けることに感謝しています。

問題は、また無理をしてしまうのか、どうか。たまに、7回もワクチンを打っていますから、「もうアウト」「いやセーフ」「あれは誤診だった」などというご指摘もいただく昨今ですが、自分の感覚では、とっても体調がよく、いい感じなんです。

なので、いよいよ「なりたかった自分」を目指そうと思っています。それは「職人」です。職人芸を磨き、世界に一つしかない「逸品」を生み出す職人になろうと思っています。

そのため、どんな分野で職人になろうかと考えた末にでてきたのが「文人画」の世界です。絵だけでは、うまい人がごまんとおられますし、文章だけでも、うまい人が五万とおられます。

でも、それを融合させた世界に、ICTをからめていくと、新たなジャンルができてきます。NFTを政策し、自室に飾る芸術作品を政策する仕事を進めていくのです。

そして、その販促つーめとして活躍するのが「大吉くじ」となるわけです。おかしいでしょうか。

でも、天から与えられた命なら、やはり社会貢献しか頭に浮かびません。大吉くじは、間違いなく、悩める現代人の心をほぐします。それだけではなく、実は、私の政策する「ハガキ絵」も、同じように、心を元気にする効果があると感じています。

ただ私の絵を「お金を払ってでも買って、部屋に飾りたい」と思ってくれる人は、たぶん数%しかいない。でも、その数%のみなさんが、一日、ちょっとでも元気になっていただけたら、自信をもっていただけたら、生き残った価値があったと思うでしょうから。

芸術は、自己満足の世界です。でも、一人の人間が自分を満足させるために制作した作品に、共感してくれる人が、どこかにいるはずです。

今、ネットがありますので、NFT化した作品を無償で配布し、現物のリアルな作品を購入したいという人も、どこかにいるはずです。そこにかけてみようと思っているのです。

というわけで、誰もみたことがなかった職人として、生きていけるように、トライアルをスタートさせます。

製造元として、GSIコードを申請しました。いよいよ、秋のAmazonでの販売が、動き始めています。

2024年8月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

カウントダウンが始まった

いつもサポート、感謝いたします。

日々、8月24日が近づいてきます。私にとっては自分の生命について感謝するとともに、支えてくださった、すべてのみなさまが幸せな時間を過ごされることを願う時間となっています。

昨年、2023年8月24日午前10時、自宅事務所で仕事をしていた私は、クライアントに「今から出ます」と、打ち合わせの確認をしていました。すると、いきなり下腹部に激痛があり、それはググぐと、胸の中心を上がっていき、息継ぎができなくなりました。

あわてて「すみません。ちょっと体調がよくないので、打ち合わせはリスケしてください」とメールを入れ、激痛をこらえてトイレに行きました。すでに書いたように、前夜の光物、サバ・アジ・イワシにアニサキスがいたのでは、と思っていたのです。能天気でした。

そして、2時間後、緊急搬送していただき、運よく受け入れ先もみつかり、そのままICUに入って、寝返り禁止の絶対安静、家族も含めての面会謝絶で、一週間。九死に一生を得たあとも、1ヶ月間、絶対安静は続きました。

おかげで30キロの減量に成功したものの、筋肉量がゼロに知和樹、歩けない自分がいました。ただ、それでも病室の窓から眺める都会の景色には感動がありました。世界は、とてつもなく美しかったのです。

そんなこともあって、その後、大動脈溜の主日をし、2024年元旦からリハビリ生活に入り、2024年4月から、クライアントのご厚意で仕事に復帰させていただいてます。それまでと異なるのは、クライアントのために「命がけ」で考えられるようになっていたことでしょうか。

そして、クライアントも、自分の生命力と相談して、ほんの数社に選択させていただきました。これまで、お声かけいただいた仕事は断ったことのなかった私ですが、傲慢にも、お断わりしている自分がいました。

お金どころではありません。文字通り、無一文の私ですが、生きていれば、きっといいことがあると、東京商工会議所に借金して、大吉くじプロジェクトの素材を100万円分、仕入れました。もちろん、それで儲けようなんて気持ちはまったくありません。

せっかく授かった命なのですから、できることは何でもしようと、リハビリの意味もこめて、悩める現代人の自己肯定感を高められる大吉くじに、かけていたのです。元講談社名編集長のIさんからは「無謀な」と驚かれましたが、九死に一生を得た者としては、しごく当然のことだったのです。

そして、いつ消えてもおかしくない命を内在しながら、今、1周年を迎えようとしています。このブログを読んでくれている人は、実は、このSNSブームの社会にあって、本当に親しい方しかいないのですが、私は、それでいいと思っています。

いつか、とくに若い人が、私との接点がまったくなかった若い人が、このブログに刺激されて、自ら週末作家になり、二足の草鞋をはき、創作活動を始めることを、なぜか、革新しています。その根拠⑨は、たった一つ。

自分が、そうだったからです。天才数学者エヴァリスト・ガロアの手記に刺激されて数学者を目指し、自らの枯渇した才能に幻滅しながらも、ドストェフスキーの「死の家の記録」を愛読書として、作家になることで心を守ってきた自分が、若者たちの心に響くことを、知っているからです。

私の場合、たぶん、10人に1人しか、ファンは生まれません。いや、5%かもしれません。でも、若者が1000万人いたら、5%なら50万人の人に、届く可能性があるわけです。私の人生は、それでも十分すぎると思います。

今、Campfireのcommunicationは、現在、7名のサポーターのみなさんに支えていただいています。10万人を目標にしていても、始まりは7人なんです。私は、その7名のみなさんを第一に考えて、創作活動を進めていきます。

そして、その7名のサポーターの向こうには、20名もの「いつも応援しているよ」と言っていただけるみなさんがいて、そらに向こうには、「必ず、何かを成し遂げると期待しているみなさん」が100名くらいおられます。

こんな幸せな状態でありながら、SNSで、あるいはユーチューブで、もっと多くのみなさんに自分の世界を「押し売り」する行為には、なかなか、向かうことができません。

というわけで、私はもう若くはないので、お友だちを拡大することなく、生きていくことになります。

静かに、見守ってください(実は、データだけみると、Communityの大吉WAKA集2024の1歌は、毎日100名前後の人に、コンスタントに観られているようです。驚きのことですが、こういう時代なんですね。

ありがたいなぁ、と、感謝しています。

2024年8月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

坂本龍一が観たものは何か

2024年4月7日、NHKスペシャル【Last days 坂本龍一 最期の日々】が放映されました。私も、さりげなく観て、ラスト50分15秒あたりのシーンにくぎ付けとなり、臨死体験を思い出しました。

その映像は、坂本さんが亡くなる2日前、2023年3月26日、SNSでは天才・坂本龍一の暴力の被害者だったとされる次男が撮影したものでした。

ベッドで酸素マスクをした坂本さんは、彼が育てた東北ユースオーケストラのコンサート映像を、スマホで受信し、観ていました。楽しそうでした。最期の2日前なので、モルヒネが打たれていたはずです。

そのコンサートは、おそらく生配信されていて、吉永小百合さんが「うちわは、風を送ってくれて、ありがとう」など、さまざまなものに感謝する詩を朗読していました。

うつらうつら、楽しそうに指で旋律をたどっていた坂本さんは、突然目を見開き、次男のビデオ(たぶんスマホ)を確認します。そして、ベッドの上で首をイヤイヤするように降り「俺はヤダ」という言葉を絞り出します。

その言葉は、NHKスペシャルの映像では「判別不明」として字幕にされていませんでしたが、私には、はっきり「俺はヤダ」と聞こえました。だって、2023年8月24日に緊急入院した私の言葉と同じだったからです。

坂本さんの次男による映像は、続きます。(元気で勇気のある方は、ぜひ、ご自分で確認してください)

そして、イヤイヤの素振りから、ちょっと落ち着いた様子の坂本さんは「これはヤバイ」とつぶやきました。この言葉は、明瞭に発音されていて、聞き取れます。その二日後、意識が戻らないまま、坂本さんは逝かれました。

最期に、彼は何を観たのでしょうか。

百人いたら、百通りの解釈がある最期に観る世界。以下は、私にとっての想像にすぎません。みなさんには、みなさんの坂本龍一がいて、価値観があり、力士があり、世界観、宗教観、人生観があり、それぞれ異なっています。

ですから、私は、私のことを語るしかないわけですが、彼は「ブラックホール」を観と私は知っています。私が、ICUで寝返りすらできない絶対安静、家族でも会えない面会謝絶の状況で、死地をさまよっていた時に観た、穴。

無念だったと思います。死ぬことが、怖くなくなったと語っていた坂本さんでさえ、ブラックホールを観たら(光すら出てこられないから、正確には観ていないのですが)生命の中心が震えます。

安易に、そこに近づいてもいいと思っていた自分が、根本的に間違っていたこと。本当に、吸い込まれて「無」になるまでは、生命のあることを歓び、感謝し、楽しまなければいけないことを、身をもって知ったのですが。

私の場合は、たまたま九死に一生を得て、医師・看護師さんの必死の看病で、助けていただいた。坂本さんは、ずいぶん延命はされたけれども、とうとう、ブラックボックスに吸い込まれていった。

その違いは何なのか、ということは誰にもわからないけれども、生きている限り、生きている自分を活かす道を模索し、この世界が美しいことを、一人でも多くの「出逢い」のあったみなさまに遺していくことが求められています。

明日は、終戦記念日。そして、8月24日、急性大動脈解離でのたうちまわって臨死体験に至った自分の、新たな人生の1周年記念日となります。みなさん、病気をなめないで、体調が悪かったら、無理せずに検査してください。

25歳~画家の道をあきらめた若者の自画像
2024年8月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

継続力はあるようです

みなさん、猛暑お見舞い申し上げます。来週は、猛暑の大阪・奈良・京都5日間の旅に出ます。身体に注意して、死なないように楽しみます。

ところで、昨年の8月24日に急性大動脈解離で緊急入院し、ICUで7日間、その後1ヶ月の絶対安静、転院して大動脈瘤の手術、そして半年間のリハビリ生活を送った私ですが、その間、おそらく1日たりとも企画制作を休んだことはありません。

根っからのドリーマーなのです。ただ、心のどこかに、「これを続けていれば、いつかブレイクする」という確信があります。根拠は、たぶんないのですが、500人以上、成功している経営者に直接、取材させていただいた体験から、持続していれば、いつか必ずチャンスはめぐってくると、知っているからです。

今まで、私は「ロングセラーはあってもベストセラーがない」という残念な作家人生を送ってきてしまったのですが、まだ、終わっていません。続けていれば、いつか、失敗の成果がでてくると信じているのです。これは、私の人生が、このまま失敗で終わるのか、努力が報われて成功が顔を出すのか、その瀬戸際にいるということです。

私の命がもてば、どこかで、謎解きクロス・パズル小説・大吉くじの一連の世界が認められて、誰かが気が付き、社会に普及していくと思います。命がもたなければ、後継者は誰もいませんので「あの時期に、ちょっと変わった世界を夢見たオヤジがいたが、志半ばで死んでしまった」という形で終わることになります。

ただ、私は、謎解きクロス・パズル小説・大吉くじは、コツコツと進めていれば、必ず市民権を得ると思っています。誰かが、気が付くはずです。実際、パズル小説は30名ほどが支援してくださり、「そして誰も死ななかった」の発刊を待ってくれています。

また、大吉くじのドリームは、信州上田や群馬下仁田で地域活性に活用されているばかりか、これからAmazonで販売できるクオリティにまで商品力が高まってきています。

謎解きクロスはミステリーウォークを100回、5万人の人が解いてくれました。パズル小説は未知数ですが、「そして誰も死ななかった」が発売されることで、ブレイクに近づきます。原稿用紙でいうと、たぶん10000枚くらいは書いています。

そして大吉くじですが、ちゃんと計算すれば10000札以上制作したことがわかってきました。1円も売れていませんが、すでに3000札以上、みなさんの目にふれています。

ユーチューブで、ホリエモンさんがDAIGOさんがデビューするまでにスプーン曲げの練習を10000本のスプーンでやったということを暴露していました。よほどの信念とドリームがなければ、10000本も曲げたりはしないでしょう。

そう考えると、私が10000札の大吉櫛を自分で印刷し、自分で折り、パックし、自分で作った金の鈴ストラップと合体させているのも、一つの「成功へのプロセス」の形ではある気がしてきます。

私の爪は割れ、指先には無数の紙で切った傷があるのも、10000本のスプーン曲げの練習をした彼と、似ているかもしれません。いずれにせよ、こういう話は、特別の人にしか、もらしません。威張っても仕方のないことだからです。

それでも、ブログに書きたくなったのは、「どうして、気が付いてくれないのか」という、マイナーな人生を歩む者特有の「あきらめ」がにじんできたからかもしれません。

正直、私も68歳なので、生きている間に成功できる保証はなく、そろそろ「いつ終わっても、いつあきらめても仕方ない」という状態に押し込まれているからです。

でも、あきらめていたら、大吉WAKA集2024を140回もアップしません。まだまだ、あきらめていないのです。そして、そんな自分へのご褒美として、誰にも招待されていないのに、大和鉄道まつりを見学し、営業活動をするために、ちょっと大げさですが、命がけで関西出張に出かけるのです。

ドリーマーは、死ぬまで、ドリーマーであり続けます。

2024年8月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

あれ、少し増えてきました

猛暑、お見舞い申し上げます。

今、CampfireのCommunity閲覧数をチェックしたら、7月に入って、何と閲覧数が増えていることがわかりました。毎日配信している大吉WAKAが、少しずつ、みなさんの目に入っているのでしょうか。

それとも、ただの幻なのか。その答えは、秋以降にでてくると思われます。

さて、本文です。

ほんとに暑い夏。昨年、急性大動脈解離で緊急入院し、九死に一生を得たことが、脳裏をよぎります。あとから考えれば、予兆はたくさんありました。年甲斐もなく、猛暑のなかで、厚さに耐えながら仕事をしていました。

もっと、自分の身体をいたわればよかったと反省しつづけた11ヶ月でした。2023年8月24日、自分で自分をいたわる記念日とします。もう二度と、ICUに入りたくありません。次に入るときは、そのまま死んでしまうでしょうから。

そのな私の今は、やっぱり、大好きな仕事ができる歓びで、ついつい夜更かしを重ね、誰に頼まれたわけでもないのに、大吉くじプロジェクトを推進しています。一人でも多くの人に、自己肯定感を高めてほしいと願いながら、ひょっとすると10000札くらい、大吉くじを折った気がしています。

※まじめに振り返れば、トライアルで3000札、プレミアムの鈴付きを考案して3000札、大吉WAKA集の関係で3000札、謎解きクロスの解答編で1000札を、すでに制作していますので、やっぱり10000札は、作ってしまったことになります。

もちろん1円も、もうかっていません。1札の原価が80円として、80万円。その他、雑費を考えると、やはり100万円がなくなるわけです。東京商工会議所のマル経融資で100万円を借りましたが、半年で使い切りました。

お金は、使うためにあるのですから、これからも、まだまだ100万円くらいは投資しなければAmazonでの販売には至りません。昨年との違いは、夢が形になってきていること。小さい世界ですが、前人未踏の世界を歩いています。

2024年7月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster

苦難の道をいくこと

みなさん、お元気ですか?

今回は、なぜ私が、世界一「無駄なこと」にカネと時間を使っているのか、記してみたいと思います。

私は、現在の名刺に「パズル小説作家 廣川州伸」として3種類の商標を記しています。■謎解きクロス(商標登録№5682195)■パズル小説(商標登録№6241385)■大吉くじ (商標登録№6761496)です。

名刺を配ってみても、なかなか、この三種の神器について理解していただくことは、ありません。「独りよがりだ」「顧客からみたら、どうでもいいこと」という率直なご意見も、いただきます。

確かに、その通りです。だって、このどれもが社会には認められているものの、お金を生んでいないからです。市場は、無視を決め込んでいます。残念ながら、マスコミもネットも、話題にすら、していません。

知っているのは、ごく少数の、廣川州伸が直性関係しているお友だちだけという現実があります。だからこそ、あえて「ブレイクするまで続ける」ことが、創設者である私の責務と考えています。

タイムチャージにすれば、1億円規模、15年間ほど、この世界に費やしてきました。実際に投資したお金も、1000万円は超えているはず。私の命が、明日途切れてしまったら、誰も継承してくれず、消えていく三種の神器。

尊敬する大先輩、いろいろ企画についてアドバイスをいただいているIDP出版の和泉社長からも、また顧問をさせていただいているまごころフィナンシャルサービスの奥山社長からも、「選択し集中」だと指摘されています。

謎解きクロス、パズル小説、大吉くじを「つなぐ必要はない」ので、まずは一つに集中すべき。お金も時間も、そうしなければ、浪費になるだけと、心配してくれました。ありがたいことです。

それでも私は、三種の神器を活用した「世界」を構築したいと思い、命を削って、死なないように注意しながら、謎解きクロスとパズル小説、そして大吉くじの融合した世界に、かけています。

理由は、ただ一つ。その世界が、廣川州伸が生まれなければ、誰も創造しなかった構造をもっているからです。私は日々、誰もあるいたことがない道を、自分で切り開いて、進んでいます。

あの高村光太郎が「道程」で詠った「君の前に道はない。君の後ろに道はできる」を、日々、実践しているからです。大吉くじを、たぶん5000札は、作りました。一つひとつ、一人ひとりの心に届くように、制作しています。

そんな金と時間があったら、ビジネスを進めて、儲けたお金で、ひとを雇って大吉くじの販売網を作るべきという考えも、あるでしょう。それでも、私は、現状では自作自演をやめることはないでしょう。

職人は、まだ誰も作ったことがない作品を生み出すことに命がけで取り組みます。私がNFTとしてストックしているアート作品に、「大吉WAKA集2024」を刻んでいるのも、同じ理由。まだ市場はありません。これから生まれるのです。

私が、何ものであるか。理解してくださる人は、まだ、ほんの一握りです。「あれ? 絵も描くの? みたことない絵だけど、ただならもらってあげる」という段階。でも、そんなに多くはなかったけれど、私にも、少し才能がありました。

この夏、あるいは秋、九死に一生を得たあとで40日間の絶対安静の時期に(ICUには窓がなかったので)ずっと見続けていた窓からの風景、富士山のある景色を「ハガキ絵」にして、NFTとしてストックします。

かつて描いた自分の作品を超えることはできませんが、それなりの何かを生み出せると自分では期待しています。

私は今、旅人として前人未踏の場所に向かっています。

2024年7月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : wpmaster